涙まで抱きしめたい 11
騒ぎは大きくなるのだろうか・・・
今までの俺なら無難に何でもないように収めようと感情をコントロールする。
だが・・・。
今の俺は二人の関係をオープンにしたい気持ちが隠したい気持ちを上回ってる。
出会った最初の頃に社内を飛び交った噂が思い出された。
どっちが葵の俺に対する評価は上がるのだろう。
下手したらプロポーズも出来なくなるとか?
こんな考えが頭の中に渦を作る。
その渦の中でいくつもの嫌な不安は数枚の葉っぱとなってくるくると渦の中に巻き込まれていく。
力が抜けたように椅子にだらっと座り込む葵の顔が泣き顔に見えた。
*「とにかく座ろう」
葵と里中、その真ん中の椅子に腰を下ろす。
葵を落ち着けるためじゃなく今必要なのは最善の方法を考え出すこと。
このまま俺と葵の関係を公にした方が翔平対策にも万全になるような気がした。
「はぁ」
テーブルにつく両肘。
そこからつながる両手で顔を覆って葵が俯いた。
そんなに落ち込むことか!
不愉快な気分が胸の奥で芽を出す。
「俺はここで二人の関係が公になってもなんの問題もない」
その芽はするすると最速で伸びて口から飛び出した。
「本気!」
「最初の頃の噂でどれだけ私が大変だったか!」
「東条が社長を押し倒したとか襲ったとかいうやつ?」
「先輩まで知ってたんだ」
横から口を挟む里中に泣きそうな視線を葵が向けて、葵は唇をキュッと噛む。
少し気まずそうな表情を里中が作った。
大体里中と会ってるから俺が落ち着かなくなったんだ。
全部お前のせいだ!
司みたいに心の中の不機嫌をぶちまけられたら・・・。
俺にできるはずがない。
吐き出した途端に俺はそのまま罪悪感で落ち込むのがわかる。
葵を責めたいわけじゃなのだから。
まじかにせまる気配に視線を移す。
葵の同僚が固まってゆっくりと俺たちのテーブルの手前にまで来ていた。
ライトに照らされてテーブルに伸びた影。
「社長もこんな店に来るんですか?」
「もしかして葵が誘った?」
「どうなってるの?」
「社長が来てるなんて!」
「近くで見れてうれしい」
俺が現れた理由より一緒にいることがうれしいとでも言いたげで興奮を隠そうともしない。
「得した!」
中の一人が嬉々とした声をあげた。
「やっぱり秘書っていいな」
「社長と接点があるわけじゃん。里中さんも葵が社長と仲がいいと心配じゃないですか」
「心配って?」
里中に向けられた質問に俺の方がピクッと反応を示す。
「葵と里中さん付き合ってるんですよ」
「付き合ってないって!ただの先輩と後輩」
「葵、照れなくてもいいから」
視点が定まらず落ち着きをなくす葵。
目に力を入れて同僚にこれ以上何も言わないでと唇が動く。
俺を気にしてる感情の動きは手に取るようにわかった。
今にも泣きそうな表情。
それをこらえるように目じりに涙が浮かんでる。
「東条には俺じゃない彼氏がいるから」
里中の発した言葉にスズメの様なにぎやかな鳴き声はピタッと止まった。
「えーッ!嘘!誰?どんな人?」
一斉にさっきより騒がしくなった。
ぎょっとなったのは言うまでもなく葵。
3人の同僚は意地でも聞き出すという勢いで葵を攻めている。
たぶん・・・
葵がしゃべるまで解放はされそうもない勢いだ。
里中は俺に宣言させたい?
「東条のこと本気なんですよね」
俺の横で里中がつぶやく。
遊びなら許せない!
またアタックしますよとでも言いたげな里中。
俺の気持ちを推し測っている。
「当たり前だ」
対抗するように心の奥から声を絞り出す。
「俺が彼氏。目下俺の恋人は東条だから」
ここで宣言しなければ俺は軽い気持ちで葵と付き合ってると里中に思われる。
恋敵に葵を差し出す気分は翔平だけでたくさんだ。
「・・・嘘」
豆鉄砲を食らった顔が3つ並んで出来上がった。
「葵、帰るぞ」
放心状態の葵の腕を強引に引っ張って出口に向かう。
「どういうこと里中さん!」
後の騒ぎは里中に任せた。
「どうするのよ」
店から出て人波をすり抜けて歩く。
俺に腕を引っ張られたままの葵が踏ん張るように足を止めた。
繁華街を抜けて通り過ぎる影もまばらになった。
「あんなこと言って」
「もっとスマートに切り抜けられたはずでしょう」
ようやく放心状態を葵は抜けたようだ。
俺との仲を隠すためほかの男と付き合ってることにするのは噂でも我慢できなかった。
ただそれだけのこと。
そうまでする必要は俺たちにはない。
「どうもしない」
腕を離さないように力を込めて葵と向き合う。
「俺たちのこと周りにばれたらそんなに嫌か?」
つぶやく声は静かに不安の色合いが強い。
嫌って言うな。
最悪に俺は傷つく。
「あなたの方が困るんじゃない」
「なんで?」
「どうして常務の秘書にしたの?」
「えっ?」
「常務も私の見合いの相手だったんでしょう!」
俺を責めながら葵の表情は拗ねている。
「俺が喜んでお前を手放したと思ってるのか?」
腕を引き寄せて葵を抱きしめながらつぶやいた。
歩道の横で走り去る車。
雑音も何も聞こえなくなってただ俺と葵の鼓動だけがドクンと重なった。