記憶 パートⅡ

*このリレー小説は記憶 パートⅠからの7話目から分岐しています。

パートⅠを読まれた方は7話目からお読みください。

第1話   記憶                            作 あいきさん

「ちょっと出掛けてくるね!!」

いつもの脱走。おきまりのこと・・・。

でも、今回はいつもと少し違っていた。

予定の時刻を過ぎても、ユーリが帰ってこなかったのだ。

「・・・ハディ、ユーリはまだ帰ってこないのか?探しに行く!」

心配になったカイルは、ハットゥサ中を探し回った。

そして・・・。

「ユーリ!」

ある民家の前で、水くみをしているユーリを発見した。

ユーリはきょとんとして、こちらを見ている。

「・・・あなたたち、誰?」

最愛の娘、ユーリから発せられたそんな言葉。

誰・・・・?だと・・・・・。

「あなたたち、わたしをしってるの!?」

バシャン。

水が、ユーリの手から、滑り落ちた。

「わたしのことをしっているのね!?誰?あなた達は誰?」

何も、答えられない・・・。

ユーリ、記憶をなくしたのか・・・・・・・!

第2話            家              作 ひろきさん

「・・・あの、失礼なんですけど・・・。あなた方誰ですか?」

ユーリの記憶がないと分かって、みんなが呆然としているときだった。

ユーリは、なぜ黙り込んでしまったのかが分かっていない。

「あの、とりあえず中に入りませんか?・・・で、お話聞かせてください!」

「あぁ、そうさせてもらうよ。」

何とか正気を取り戻したカイルは、ユーリの言葉に従った。

今のユーリに何を聞いてもワカラナイ。

それならば。

「おばさん、あのね、この人達私のこと知っているみたいなの」

「え?だれだい・・・?お嬢ちゃん、お茶でももってきな」

ユーリはおばさんの言ったとおりに奥に引っ込んだ。

この様子からして、おばさんはカイルに気がついたらしい。

「やっぱりあのお嬢ちゃんは、イシュタル様かい?陛下」

「・・・そうだ。世話になったらしいな、礼を言おう。

 ユーリを連れて帰りたい」

「あぁ、それが一番いいんでしょう」

ふぅ・・・。

大きなため息一つ。この女性は、何か知っている・・・?

「どうしてユーリは記憶をなくしたんだ?」

「・・・事故だよ。私がもっていた水をね、彼女がここまで運んでくれて・・。

 それで、帰りがけに目の前に飛び出してきた馬車に驚いて頭を打ったんだ」

頭を打った。

他には特に外傷はなかった。ユーリのことだ。

うまく身を翻したのはいいが、足を滑らしたのだろう。

「では、ユーリは連れて行く」

カイルはそういうと、かたんと席を立った。

第3話       帰れない                      作 ひー

「ユーリ帰るぞ」

ちょうど奥の部屋から御茶を戻ってきたユーリにカイルが声をかける。

「ちょっと待ってよ、なぜ私があなたとかえらなくっちゃならないの?

私はここにいるわよ、今はここが気に入っているんですもの」

「お前は私の妃だ、本当に何も覚えてないのか」

そういってユーリを抱きしめるカイル。

「ちょっと止めて下さい、本当に何も覚えてないんです」

「急に妃ていわれて、ハイハイてついていける訳ないでしょう」

カイルの腕から逃れて、おばさんの後ろに隠れるユーリ。

「大丈夫だからこの方たちについていってください、イシュタル様。少しの間でしたけど一緒に過ごせてうれしかったです」

「もうイシュタルとかユーリとかみんなで勝手に話を進めないで、私おばさんの息子が帰ってくるまでここから離れないんだから」

そう言っておばさんを抱きしめカイルをにらみつけるユーリ。

「帰らないって・・・ユーリ様・・・」

ユーリにつめよるハディを制してカイルが口を開いた。

「息子が帰らないとは・・・なにか問題がありそうだな?」

やれやれ、記憶が無くなっても何かのトラブルに巻き込まれているらしい・・・

平静を装いながらもカイルは心の中でため息をついていた。

第4話   問題&帰宅              作 あかねさん

「息子は、数ヶ月前に猟に出たまま帰ってこないんです。ただ、それだけのこと。 ですが、その、ユーリ様は・・・・。」

ユーリは、ぎゅっとおばさんにくっついてはなれない。

王宮には帰らないと言うし・・・。

「・・・ユーリ、女性の息子が帰ってくれば、私と一緒に王宮へ来るか?」

「・・・・・・・・そこに、記憶のヒントがあるならね」

ぷいっと、顔を背けるユーリ。

さっきいきなり抱きしめたのがいけなかったらしい。

「ふぅ、では、そのむすことやらをさがすか。なーに、すぐに見つかるさ」

ユーリは、きょとんとしていた。

今のユーリには、カイルが何者なのかさえ分かっていない。

「そんなにすぐに、見つかるわけないでしょ」

「まぁ、みてろ」

ー 数日後 ー

カイルの言葉通り、おばさんの一人息子は見つかった。

猟をしている途中道に迷い、帰れなくなっていたのだ。

「陛下、ありがとうございます、陛下!!」

「いや・・・。さて、ではユーリ。一緒に王宮へ行こうか」

おばさんと息子の隣でむすっとなっているユーリの手を、カイルは強引に引いていく。

そして、ひらりと抱き上げると馬に乗せる。

パカパカパカ。

急ぐわけでもなく、馬を進めるカイルご一行。

「ねぇ、貴男は何者?」

記憶のないユーリには、自分の愛した男でさえもわからない。

「・・・今から行くところへ行けば分かるけど・・・。私は、カイル・ムルシリ。

 このヒッタイトの皇帝であり、お前の夫だよ。ユーリ・イシュタル」

ユーリは馬から転げ落ちそうになった。

自分に、旦那がいる!?しかも、皇帝ですって!?

そんな突拍子もない話を聞きながら、ユーリ達は王宮へ帰ってきた。

第5話     戸惑い                 作 マユさん

記憶を無くしたままのユーリを連れてカイルは王宮に戻って来た。

ユーリはカイルが自分の夫と知り戸惑いを感じていた…

カイルはヒッタイトの皇帝だという…つまり自分は妃なのだ…

自分が一国の皇帝の妃?

何か違和感がある…

「さあついたよユーリ…疲れただろう湯殿に入ってゆっくりしておいで」

ユーリは3姉妹に連れられて湯殿に放り込まれた。

もともと埃っぽかったのでユーリは湯殿でくつろいでいた。

「う~~ん!気持ちいい~」

カイルが自分の夫だと言う以上、ユーリは信じていた。

カイルが人を騙すような人とは思わなかったから…

すっかりくつろいてせいたところに3姉妹がやって来て、服を着させられる。

「ねぇ…この服、嫌なんだけど…」

「あらどうしてですか?よくお似合いですわよ」

ユーリが着させられたのは脱がしやすそうなスケスケのドレス。

いくら記憶がないといえ、服の好みは変わってないのだ。

「まあよろしいではありませんの。これくらい着飾って陛下をお喜ばせになった方が良いでしょう」

「よ!喜ばせるって何であたしが!!」

「何で?って陛下とユーリ様はご夫婦ではありませんか」

(そ‥そっか…あたしとカイルは結婚してるんだっけ…あたしカイルの奥さんなんだよね…つまり…その…いや~恥かしい!!)

ユーリの顔は赤くなっていく。

「ユーリ様?お顔が赤いですけどお湯加減熱かったですか?」

「何でもないよ」

ユーリは笑ってごまかすしかなかった。

「ではどうぞこちらへ」

ハディに言われユーリはカイルの部屋に入る。

「ではお休みなさいませ」

ハディは扉を閉めて遠ざかっていく。

(どうしよう…カイルが来たら完璧に2人きりじゃない!あたし心の準備がまだ出来てないよ!!)

 キィーーーーーーーーー

「あ…カイル…」

振り向けばカイルが立っていた。

とても楽な夜着に身を包んでいる。

(いや~~どうしよう!!)

ユーリの鼓動はますます早くなっていく。

そしてカイルは・・・・

第6話   少しだけ                    作 金こすもさん

「どうした、ユーリ? 」

真っ赤になり硬くなったユーリに、カイルは笑顔で接した。

「あっ、あの~。あたしたち夫婦だから、その~。愛しあわなければ、いけないの? 」

「そうだな。おまえしだいだな。私のことは、すべて覚えてないんだろう? それならば、仕方ないさ。ゆっくりとお休み、ユーリ」

カイルは自分の望みを抑えて、ユーリを安心させ眠らせてやるつもりだった。

時がたち王宮での暮らしに慣れれば、ユーリは落ちつき、きっと記憶を取り戻せるだろうと考えていた。

ユーリの顔が、哀しげに微笑んだ。

カイルから受ける優しさがわかり、ユーリはそ~と身体を投げかけた。

「ごめんなさい、陛下。あたし、早く思い出す。もう、いいよ~。陛下を、信じます」

「ユーリ、陛下とは呼ぶな。私の妃は、カイルと名を呼んでくれたぞ」

暖かいユーリの素肌に触れると、カイルは今までの決心を鈍らせていった。

「カイル、ごめんなさい」

華奢な身体に、大きな両腕がのび抱きしめた。

甘い香りと象牙色の肌のなかで、いつしかカイルは望みのままに愛しんでいった。

ユーリは、思いもつかない身体の反応のなかで、少しだけカイルへの記憶を取り戻していった。

この人は、こんなに自分を大切にしてくれていたのだと・・・・。

そして自分も、こんなに愛していたのだと・・・・。

第7話  カイルの願い?                        作 匿名さん

夜明け前、カイルは腕の中のユーリの寝顔を見つめていた。

いつもと何一つ変わらない寝顔。

なのにユーリの記憶の中に私はいない?

そんなバカなことがあるわけがない。

きっと、これは悪い冗談だ。

ユーリが目を覚ませば、「ごめんなさい。脱走したのを怒られたくなかった嘘ついちゃった。

ほんとうは、記憶をなくしてなんかいない。」と言ってくれる。

カイルは、そう思いたかった。そう思いたかったけれど、現実は・・・・・

「ん・・・」ユーリがゆっくりと目を開ける。

その瞳に浮かぶのは困惑の色。ユーリやっぱり私がわからないのか?

「わたし、この何日かものすごく不安だったの。自分が誰なのかもわからなくて。

まだ、なにも思い出せない。思い出せないけどこの腕の中にいるだけで、落ちつく。

もう少しこうしてもらってていい?」

返事をする代わりにカイルはユーリを抱きしめた。

後宮の奥深く閉じこめておきたい何度もそう願った。

今ならその願いが叶えられるかもしれない。

第8話   ずるい                 作 あかねさん

「・・・・ん?もう朝・・・。あっ!」

記憶をなくしているユーリにとっては、カイルの側で寝ていると言うことがまだ、信じられなかった。

「おはよう、ユーリ。」

平然としているカイル。

でもこの人は、私のことを心配してくれている。

なんでこんなに平然としていられるの・・・?

「ユーリ、いいか?勝手に外に出てはいけないよ。今日は、私は政務があるから、

 あんまり会いにはこれないけど・・・。いいか、この部屋から、出てはいけない。」

「・・・わかりました。」

政務室に行く途中、カイルは思った。

自分はずるい奴だ・・・・と。

ユーリの記憶がないことをいいことに、ユーリを閉じこめている。

自分の願いを叶えている。

ユーリには、「お前は記憶のあるときから、こうしていたんだ」と、

ウソを突き続けている。

自分は、ずるい奴だ・・・。

第9話  いいのかな?                    作 しぎりあさん

「ねえハディさん・・あたし、このままで・・いいのかな?」

 ユーリがぽつんとたずねた。

後宮では、毎日、食べきれないほどの食べ物。

たくさんの綺麗な衣装と宝石と、なにかあればすぐに手を貸してくれる侍女に取り囲まれている。

皇帝・・カイルは、これは全部あたしのものなんだ、という。

 皇帝の正妃としては、当然の事なのかも知れない。

でも。

「あたし、自分が正妃だったなんて、信じられない。なにも思い出せないの」

 正妃らしいことができるはずもない。

義務を果たさず、権利だけを享受していていいのだろうか。

「まあ、ユーリさま。ユーリ様が皇帝陛下の御正妃であることは、みんなが認めていることですよ」

 ハディは、にっこり笑う。

記憶の中から、自分の姿が消えてしまったのは悲しいことだけれど、皇帝陛下のご心痛に較べれば、なんのことはない。

最愛の方に忘れられていまうのですもの。

「みんなの認めている御正妃って、いろんな事が出来るのでしょう?政務とか・・あたし、なんにもできないよ」

「ユーリさまは、皇帝陛下のことを、どうお思いですか?」

突然、きかれて、ユーリは口ごもる。

「どうって・・いい人だと思うよ・・親切だし・・やさしいし・・」

「お好きですか?」

ええっ!?ますます、ユーリは赤くなる。

「・・・う・・ん・・好き・・かもしれない・・」

ハディの表情が、ぱあっと明るくなった。

「それなら、十分です。皇帝陛下を愛されて、皇帝陛下に愛されて・・他の誰にも出来ない、御正妃様だからこその役目ですよ」

それが、役目なの?皇帝に愛されて、皇帝を愛して?

あたしは、確かに、皇帝であるカイルに惹かれている。

でも、あたしのどこに、愛されるにふさわしいところがあるというの? 

第10話   矛盾           作 ひねもすさん 

あの人に愛されるふさわしい女性になりたい。

そうすれば愛し、愛されることが不安じゃなくなる。

それには、何かしなくてはいけない。でも何をすればいいのか分からない。

『ただ、陛下を愛すればいい。』

ハディはそう言うけれど、愛すればその人の役に立ちたいって思うものじゃないかな?

ただ、この部屋の中で待ち続けることが、あの人の役に立つことだったのかな?

ユーリは腑に落ちないことがあった。

以前の自分は正妃としての仕事をこなしていたはずだ。

なのに、カイルは私がずっと部屋で過ごしていたという。

公式の式典以外は外へは出なかったと言っている。

正妃と言うのは式典に出るくらいしか仕事がなかったのかしら?

いいえ、今、陛下は正妃の分まで仕事をこなしてる。

だから忙しいんだ・・・・・。

では、なぜ、私に正妃の仕事のことを教えてくれないのかな?

陛下の私への態度は矛盾している。

記憶を取り戻して欲しいと言いながら、正妃としての仕事に関しては思い出して欲しくないみたいだ。

なぜなんだろう・・・・・?

疑問に思うユーリの後ろから皇帝の声が聞こえた。

「ユーリ、遅くなってすまない。」

第11話  誤解          作  美音さん

愛されるだけの女はイヤ!あたし記憶はないけど、分かるの・・・。

カイルのこと、言葉では言い表せないくらいあいしていたって・・・。               

だからあなたの役に立ちたい、愛する人の助けになりたい。

そう思うのは当然だよ。

「ユーリ、気分はどうだ?」

カイルが政務の間をぬって、あたしのご機嫌伺いに来るのは毎日の事。

「カイル、どうして?」

カイルの琥珀色の瞳を見つめる。

「あたしにお仕事教えてよ!政務を手伝いたい。少しでもあなたの助けになりたいの。」

あたしが強い口調で言うと、カイルはあきらかに困った顔をして無理に微笑む。

「おまえは何もしなくていいんだ。ここに・・、わたしの側にいてくれれば。」

 

どうして、どうして、どうして?

あたしのカイルに対する疑惑は、どんどん大きくなっていった。

第12話   秘密                作 しぎりあさん

夜中に、ふっと目を覚ます。

すぐそばには規則正しい寝息と、身体にまわされた熱い腕。

あたしは、確かにこれらのモノを知っていて、慣れ親しんでいる。

「・・・カイル」

閉じられたまつげに、そっと呼びかけてみる。

「んっ・・・」

かすかに震えたそれは、開かれることはなく、ただ腕にいくぶん力がこめられた。

とても、不安なの。

あたし、このままで、いいの?

あなたのことが大好きで、きっとこの想いは、記憶を失う前のあたしにも負けていないと思う。

でも、あなたが愛しているあたしは、以前の正妃にふさわしいあたし。

悲しくなって、腕からすり抜けようとしたとき、不意にカイルの声がする。

「眠れないのか?」

「あっ・・起こしちゃった?」

再び抱き寄せられながら、あわてる。

カイルは連日の山積みの仕事で疲れているのに。

「ごめんなさい」

「なにを考えている?」

耳元に、カイルの息がかかる。

そのまま意識が遠くなりそうで、あたしは慌てて答える。

「べつに・・ほら、一日部屋の中にいるから、運動不足で眠れないんだと思うの」

「・・ならば、疲れさせてやろうか?」

覆い被さってきたカイルの唇を、あたしは拒めなかった。

身体にはしる指先を感じながら、きつく目を閉じた。

本当なら、あなたに愛されるのは、こんなあたしじゃない。

第13話   独占欲          作 ひねもすさん

カイルの腕に抱かれ、気だるさの中、ユーリは考えていた。

以前のあたしはカイルを愛していた。

今のあたしはカイルを愛し始めている。

そして・・・カイルは常にあたしを愛し続けている。

でも、どのあたしを愛しているのだろう?

記憶のあるあたし。

記憶のないあたし。

どちらも愛しているの?

カイルにとって、あたしは一人。

あたしにとっては、あたしは二人いる。

今、ここで考えているのは記憶のないあたし。

今、カイルが抱いた女は誰なんだろう。

あたしを見つめる琥珀色の瞳は、あたしを見ていたのだろか。

たぶん、あたしを見ていた。

でも、もう一人のあたしも見ていたんだ。

あたしは自分に嫉妬している。記憶を失う前の自分に。

正妃の仕事も彼女のようにこなしてみせる。

だから、記憶を失う前のあたしより、今のあたしを愛して欲しい。

彼女より今のあたしを愛して欲しい。

今のあたしだけを・・・。

記憶のあるあたし。

ないあたし。

二人で一人なんて嫌!

今のあたしだけがあなたを独占したいの・・・。

第14話    もう一人の                作 しぎりあさん

夢を見た。

どこかの丘の上に一本の木が立っている。

その木陰で、カイルが笑っている。

腕に、小柄な黒髪の少女を抱いて。

あの少女は、あたし?

でも、遠くからそれを見ているのもあたし。

「カイル、あたしはここよ!」

丘の上に向かって叫ぶけれど、カイルは聞こえないみたい。

腕の中のあたしを抱き上げて、梢の果実に手が届くようにする。

「あっ」

小さく声がして、こぼれたリンゴが転がった。

遠くにいるあたしは、転がってきたリンゴを拾い上げる。

「返して」

あたしが、言った。

「それは、あたしのモノよ」

「調子が悪いのか?食べてないじゃないか」

カイルの声がして、あたしは現実に引き戻された。

朝食の間も、明け方に見た夢が忘れられなくて、ぼんやりとしてしまった。

 黙っているあたしに、なにを思ったのか、カイルはハディに合図した。

「食欲がないなら、なにか他のものを持ってこさせよう」

「ううん、いい。ちょっとぼんやりしてただけ」

そばの皿に手を伸ばした。

なんの気なしに取ってしまったのはリンゴだった。

カイルが見ているのが分かったので、それに歯をたてた。

「しゃりっ」

甘酸っぱい味が口に広がった。

夢の中のリンゴもこんな味なんだろうか?

あのとき、カイルの腕にいたのは、どちらのあたしなんだろう。

カイルは、キックリになにか話しかけている。

その横顔を見ながら、考える。

自分に嫉妬するのは馬鹿馬鹿しいことだとは、わかっている。

でも、カイルを好きになればなるほど、今の自分が知らないことが多いのに、気づく。

あたしは、はじめてカイルにあったとき、どう思ったのだろう。

どんなきっかけで好きになって、どんな風に愛を育てたのだろう。

確かにふたりが共有したはずの時間を、あたしは覚えていない。

カイルを愛しているあたしが、宝物のように抱きしめるはずの思い出を、すべて失ってしまった。

カイルの手の中にはその宝石がまだあって、その輝きを慈しむように、いまのなにも知らないあたしに愛情をそそいでくれる。

あたしじゃない、あたしを見ながら。

『返して』

いやよ。

あなたのものだと、分かってる。

でも、もう手放せない。あなたの代わりにカイルを愛しているから。

だから、お願い。

あなたの持っている、思い出をちょうだい。

カイルの触れる、髪も肌も唇も、すべてがあなたと同じものだから。 

第15話   情熱               作 ひねもすさん

その夜のユ-リはいつになく情熱的であった。

カイルと幾夜も肌を重ねていたユーリであったが、記憶を失う前も失った後も、いつも受身で愛されていた。

しかし、その夜のユーリは強くカイルを求めていた。

『あたしのもの。彼はあたしのもの。』

絡ませる舌。熱い吐息。

いつもは与えられる口づけを今夜はユーリが与える。

カイルの愛があたしに注がれる時、彼が愛し、抱いている女は記憶のないあたし。

記憶のないあたしなのだと気づいて欲しい。

狂気を帯びた情熱がユーリを支配していった。

ユーリの思わぬ行動に戸惑いながらカイルは彼女の行為に応えるように愛した。

「カイル・・・」

甘い声で自分を求めるユーリにカイルは囁いた。

「ユーリ、何がおまえをこんなに不安にさせているんだ?私はいつでもおまえの側にいる。決して離さない。言ってくれ。」

「あたしを愛して。あたしだけを愛して」

ユーリは自分の望みを答えた。

真実、ユーリはそれだけを願っていた。

今の自分を、記憶のない自分だけを愛して。

「ユーリ・・・。私はおまえを愛している。どれほど愛しているかは、きっとおまえ自身にも伝えられないだろうな。」

これはカイルの真実であった。

ユーリにもカイルの言葉は真実を伝えているのだと分かった。

カイルの真実はユーリに業火のような苦しい思いを吐き出させた。

「本当にそうなら、カイル、お願いよ!思い出も、何もいらないと言って!

これからのあたしを愛して!何も持たないあたしを愛して!」

カイルはやっと気づいた。

ユーリが何を悩んでいたのか。

その原因がなんであったのか。

後宮の奥深く閉じ込めておきたい』

すべては自分の欲望が原因だったのだ。

後宮に閉じ込め、本来のユーリの姿を変えてしまおうとしていたのだ。

そのことで、今の歪められた環境にいるユーリは、本来の自分の姿に対して、まったくの別人のような錯覚を抱いたのだ。

わたしは、自らの欲望のために、ユーリに自分自身を見失わせるほどの苦痛を強いていたのだ・・・・。

カイルは自分のずるさを嫌と言うほど思い知らされた。

第16話   密会                     作 しぎりあさん

カイルの指は、あたしの身体を全部知っている。

夜ごとに、すべり追いつめ開いてゆく。

あたしの身体の全部は、カイルの指を知っている。

触れられるたびに、乱れ溶かされ崩れ落ちる。

記憶のないあたしが、初めて彼の腕に身を預けたとき、身体に刻み込まれた記憶の鮮烈さに恐怖を覚えた。

初対面に近いほど知らないはずの人なのに、熱く激しく歓喜に身をよじった。

おびえる心とは裏腹に、責めさいなまれる身体は彼を求めた。

だからあたしは、彼を信じた。

あたしの全てを知る彼だからこそ、本当のあたしを取り戻してくれるのだと思った。

もう一度彼を愛するのに時間はいらなかった。

カイルを知ったあたしは恋に落ち、あたしを知っていたカイルは、以前と同じに愛してくれた。

二人の想いのすれ違いに気づいたとき、あたしの心は凍り付いた。

愛されているのは、あたしじゃない。

いいえ、彼の腕の中にいるのは、あたし。

日ごとにあたしは過去の自分を憎むようになった。

汗ですべる背中に爪を立て、悲鳴のようにあえぎ、そらした首筋に噛みつくようなキスをうけながら、溶解する心の底で叫ぶ。

この人はあたしのもの。誰にも渡さない。

けだるい引き潮の中、あたしはカイルにねだる。

「ふたりの昔を、聞かせて」

カイルの指は、柔らかに髪をすき、むきだしの肩のまるみを確かめるようにあたしの肌をすべってゆく。

出会ったときの空の色。

ふたりで聞いた風の音。

離れて見上げた月。

小さないさかい。

流した涙。

「そのとき、おまえは・・・・」

てのひらで愛撫するようにいとおしみながら言葉を紡ぐ人を、他に知らない。

彼の言葉の柔らかさで、あたしの心は傷つき血を流す。

ひらひらと降り続く思い出は、それでもあたしのうちに積もってゆく。

思い出を全部手に入れたら、あなたの望むあたしになれるの?

やがて、心のきしみに耐えられなくなって、指で唇をそっとふさぐ。

「・・・もう一度、愛して」

馴らされた身体はすぐに加速しはじめる。

なんども大きな波にさらわれて、意識を深淵に投げだそうとする。

カイルが耳朶に歯をたて、熱い吐息と共に言葉を吹き込む。

「いいんだ、ユーリ・・いまのおまえで・・」

踏みとどまろうとして一瞬指がこわばり、それからあたしは落ちていった。

第17話     狂宴              作 ひねもすさん

気だるい朝をあたしはカイルの腕の中で迎えた。

昨日の狂気を帯びた熱は今も体の中に燻っている。

乱れた自分を思い出す。

どんなふうに愛を与えられ、どんなふうに愛を返したのか。

すべてが鮮明に蘇る。

あたしがカイルの熱情に堕ちる刹那、彼が吐息と共に熱くただれたあたしの耳に吹き込んだ言葉・・・・。

『今のままでいい・・・。今のままで・・。』

こんなにも、カイルを独占したい女。

もう一人の自分に醜い嫉妬の心を抑えることのできない女。

体を摺り寄せ、肉欲でカイルをあたしだけのものにしようとした女。

それが今のあたし。

たとえ・・どんなに自分が醜くても、あたしはカイルを諦められない。

たとえ、カイルが望むあたしが、ベットの上でただ彼を歓喜させるだけの娼婦だったとしてもかまわない。

彼に愛されるなら、何にだってなる。

何だってする。

毎夜重ねる狂宴は、あたしから誇りも自尊心もすべて奪っていた。

第18話   残照                作 しぎりあさん

磨き抜かれた青銅の鏡の前に、一糸まとわぬ姿で立つ。

身体をひねり、自分の姿を確認する。

すんなりのびた、手足。

なだらかな胸。

ほっそりした腰つき。

淡くけぶる象牙の肌は、一点のしみもない。

もっと、美しい身体もこの世にはあるだろう。

けれど、彼が毎夜愛するのは、この身体。

抱きしめ、愛撫し、想いをそそぎ込むのは、この身体だけ。

「ユーリ様、夜着は、こちらをお召しに?」

かけられた声に振り返る。

控えたハディが捧げ持つのは、透けるような薄い布。

「うん、似合うかな?」

「ええ、とても。ユーリ様のお肌の色を引き立てますわ」

ふわりと肩にかけると、髪を整え始める。

「陛下が喜ばれますわ。とても、お美しいんですもの」

あの人を喜ばせるためなら、なんでもするわ。

挑発のためなら、すぐにでもこの高価で貴重な衣など脱ぎ捨てていい。

「・・それにしても、ユーリ様、私どもも嬉しゅうございますのよ。以前のユーリ様なら、このような衣装は嫌がってお召しにならなくて」

「以前の、あたし?」

あたしの奥底で、冷たい塊が重みを増す。

何の努力もなしに、あの人の愛を独占していた女。あたしと同じ身体で、カイルの愛を与えられていた女。

「姉さん、陛下がこちらに!」

双子の一人が駆け込んでくる。

「・・灯りを、落とさないで」

三人の手で、さらにいくつかの灯火がともされる。

「皇帝陛下の、おなりです」

扉が開く。

三姉妹がふかぶかと礼をし退出する。

あたしは、カイルに向かって立ち上がる。

身を包んだ紗は、煌々と輝く灯火に照らされた裸身を隠すことが出来ない。

カイルがまぶしそうに、目をすがめる。

「・・・待たせたか?」

「ええ、とても」

あたしの口から、嬌をふくんだ甘い声がしたたり落ちた。 

触れてはいけない、とは分かっている。

もし、触れてしまえば、ユーリの心は自らが作り出した迷宮から逃れる道を失うのだと。

分かっていながら、カイルは自分を押さえることができない。

痛々しい娼婦のように、ユーリが媚びをうかべる。

薄物ごしに淡く色づいた胸先がかすかに隆起し、寝台に腰掛けた脚がゆるやかにひらかれるごとに、警鐘は追いやられる。

ただひたすらに貪り奪い尽くしたいという衝動が、カイルを突き動かす。

あどけなさの残る身体を月光に晒しながら、ユーリがのけぞる。

腰に指を食い込ませて、いっぱいに開かれた唇が絶え間なく嬌声を上げるのを見上げる。

闇に黒髪が踊る。

どんな要求にも、ユーリは応える。

恥辱心を引き出したくて、残忍さはエスカレートする。

ためらいもなく、ユーリはその身体を投げだしてみせる。

そんな姿を見たいわけではない。

ただ、互いの絆を確かめ合う行為が、だんだんと変質してゆく。

それは、相手を束縛し支配下に置くための手段になってゆく。

取り戻そうとしてカイルが掴み、離すまいとしてユーリがしがみつく。

こんな関係を続けていてはいけない。

それは理解している。

ただ、それ以上の熱が、カイルの思考を溶かし始める。

カイルの心を見透かすように、ユーリは妖艶さをおびる。

このまま、堕ちてゆくしかないのか。

第19話   囁き            作 ひねもすさん          

ユーリの汗が私の顔をなぞる。

私に覆い被さるこの果実は、時に私を焦らす。

私が自分を取り戻そうと躊躇すれば、しがみつき、私が求めれば体をよじり、愛を拒む。

私に耐え切れぬ衝動を与え、懇願の言葉を吐せ、受け入れる。

このままでは、いけないのは分かっている。

だが、ユーリは知ってしまった。

男が抗し難い、女の体の使い方を。

私はユーリを拒めない。

あたしを拒めないカイルがいる。

カイルをあたしの体に閉じ込める。

もう、わたさない・・・・・。

誰にもわたさない・・・・・。

日が昇る、そして燦然と輝く。

肉の誘惑に四肢を絡めとられた皇帝は、徐々に寝所を離れる時間が遅くなっていった。

そして、いつしか寝所を離れなくなった。

忠臣が諫言しても、懇願しても皇帝は出てこようとはしなかった。

臣下達は囁き始める。

「寵姫に溺れ、国を傾けた例は数知れぬ。」

「賢帝と言われた方も、女で身を滅ぼした。」

「現帝もその例に漏れぬ方だったらしい・・・。」

野心、そして陰謀をその胸に潜ませた狐狼のような臣下達が毒を吐き出し始めた。

第20話  惑溺             作 しぎりあさん

最初に動いたのは、皇帝に忠誠を捧げる青年将校達だった。

首謀者に荷担することになった1人が、かって近衛隊に籍を置いていた。

さすがに、元長官を殺拭するのに、抵抗があったのだろう。

秘かに書簡が届けられ、一味は行動をおこすことなく捕らえられた。

「賢帝を惑わせる妖婦を排除するのだ!!」

裁きの場所で、将校は叫んだ。

罪を申し渡すべき、皇帝はいない。

イル・バーニは牢に引き立てられて行くその姿を見送りながら、暗雲がこの国に確かにたれ込めてゆくのを、感じた。

「どこへ?」

カイルの元にも、報告は来ていた。

急ぎ審議の場に向かおうと身を起こした背を、白い腕が這った。

「あたしを、おいてゆくの?」

振り返る。

乱れた敷布の波に、燐光を帯びた肌が見え隠れする。

透けた薄い皮膚の下には、身体を咲き初めていた熱の名残の朱がいまだ息を潜めきれずにいる。

「・・・すまない、行かなくては」

お前のためだ。

続く言葉は、唇にあてられた指で封じられる。

「・・淋しいわ・・」

しなやかな腕がからみつく。

甘い匂いが、襲いかかる。

「すぐに、戻ってくるさ・・」

なだめるつもりでかすめた口づけが、すぐに深度を増す。

貪り、絡み合いながら、また沈み始める。

広げられた胸元に、むしゃぶりつきすがりつきながら、頭の中で止むことのない警鐘を押しやる。

汗ばんだ指を膝にかけながら、半ば閉じられた黒い瞳をのぞき込む。

ユーリ。もう手放せない。

空の玉座を見上げながら、イル・バーニは唇を噛む。

皇帝は、現れなかった。

「あ・・・」

ユーリが小さく悲鳴を上げた。ハディがすぐに進み出る。

「まあ」

指先に、丸く血の玉が盛り上がっていた。

膝の上に取り落としたパンの断面から、小さな焼き物の破片が顔を出し光っていた。

「パンに異物が?」

あわてて、用意された食事を見まわす。

他のものにも何かが混入されているかもしれない。

いまや、ユーリの命を狙う者はいくらでもいた。

細心の注意を払っても、つぎつぎと危険は降りかかってきた。

 子がすばやく目配せを交わし、走り出て行く。

今日の料理番と、配膳をした女官を詰問するためだ。

「いいの、大ごとにしないで」

ゆっくり言うとユーリは立ち上がった。

「すぐに、他のものを用意します、お待ちを」

ここ数日のユーリの食事量は減っていた。

ただでさえ、皇帝と寝所に籠もりきりだ。

たまに解放されたときにしか、食事をとることができない。

「いいの、陛下がお待ちだもの」

なにかが、壊れ始めている。

ハディは感じた。

ユーリは自らを後宮の一室に閉じこめている。

ほとんど食事もとらず、まるで自分を破滅に追い込もうとするようだ。

寝所に籠もり、相手を離そうとしないのも皇帝ではなくユーリの方なのだと、ハディは気づいていた。

絶えず小さな反乱が起こるのを知っていて、やがてはその火の粉が降りかかってくるのを待ち受けているように感じられるのも。

第21話   女神と妖婦              作 ひねもすさん  

かつて女神と崇められた女性。

それが今は妖婦と罵られる。

女神を崇拝し、愛したルサファは耐えられなかった。

寝所の扉の向こうで、日毎、夜毎、繰り広げられる狂態は、扉を介してさえ、伝わってくると女官たちは囁き合っていた。

猥雑な女達の声がルサファの耳に焼き付いた。

彼が愛したユーリは、今はいない。

同じ姿、同じ声、でも今のユーリは、かつてのユーリではない。

ルサファはかつての女神だったユーリを取り戻したかった。

(このままでは、ユーリ様がユーリ様でなくなってしまう。)

(今のユーリ様は、ユーリ様ではない!)

手の中の小瓶を握りしめながら、ルサファは、闇医師から譲り受けた薬の危険を反芻していた。

「量を誤れば、死に至るやもしれません。」

「体質によっては、死に至るやもしれません。」

「大きな副作用があるやもしれません。」

ルサファは頭を大きく振ると、意を決したように前を見据えた。

協力者が必要だった。

今のユーリには、ほとんどの人間は近づけないが、三姉妹は別だ。

三姉妹に全てを話して協力してもらうか、何も知らせず、協力させるか。

ほんの数滴で、全てが変わる。

ユーリ様の記憶が戻られ、元のユーリ様に戻られるかも知れない。

だが、ユーリ様が冥府に行かれるかもしれない。

そのときは私も、三姉妹も後を追うことになるだろう。

第22話  鎮火              作 しぎりあさん

慌ただしい足音がした。

数人の入り乱れた足音は近づき、やがて扉の外で止まった。

「皇帝陛下に置かれましては、ご就寝中のところ、失礼いたします」

押し殺した、緊迫感をはらんだ声が奏上する。

「申し上げます」

カイルは緩慢に、溺れ続けた寵姫の胸から顔を上げた。

「なにごとだ」

はっ、と平伏する気配がした。

アッシリアとの国境の街が襲われました。街は兵に包囲されています」

カイルは、腕の中に横たわるユーリを見下ろした。

重なる激しい交情のために、その四肢はいまや力無く投げだされている。

おぼろな視線は、どこに注がれるでもなく中空をさまよっていた。

「すぐに戻る」

ささやき、頬を撫でると、カイルは身体を離した。

白い身体に、布を引き上げる。

「報告を聞こう」

手早く夜着をまとうと、扉から滑り出た。

寵姫から離れた皇帝に、侍従はとまどうがすぐに国境からの使者の控える方へと歩みだした。

部屋にはユーリだけが残された。

薄暗い室内には倦んだ甘い香が、かすかに漂っている。

絶え間なく上げ続けられた嬌声が、闇のそこここにねっとりとうずくまっていた。

冷める暇さえなかった身体に、ふと風を感じた。

「ユーリさま?」

遠慮がちに声をかけるのは、ハディ。

僅かばかりに開けられた隙間から身を入れると、困惑しながら寝台に寄る。

「あの、陛下がいらっしゃらない間にお体をお清めいたしましょうか?」

隠すとは名ばかりの薄布をまとわりつかせながら横たわった肌には、幾度もの情熱の痕が残されている。

「ええ、お願い」

気だるげに答えるとユーリはまぶたを閉じた。

双子が、水盤を運び込み、細い身体をぬぐい始める。

背に枕を押し込み、ぐったりとした上体を起こす。

「なにか、召し上がられますか?」

おずおずと訊ねたハディに、ユーリは目を閉じたまま頭を振った。

「のどが乾いたわ・・」

びくり、と三姉妹の肩が揺れた。

一瞬の視線の交差。

「冷えたワインがございます」

「もらうわ」

リュイが震えながらデキャンタを取り上げる。

シャラが差し出す杯が、かちかちと音を立てた。

「・・・どうぞ」

ハディがユーリの手元に杯を運んだ。

ユーリの手が、杯の重みに揺れる。

「少し、休みたいの」

枕から頭をもたげると、下がっていいと合図する。

床に平伏すると、三姉妹は顔を上げずに退出しようとする。

その背に、言葉がかけられた。

ハディ、リュイ、シャラ」

 弾かれたように振り返った三人の前に、ユーリが透き通る笑顔を浮かべた。

「・・・ありがとう、ね」

そして、一気に杯をあおった。

第23話  眠り                    作 ポン子さん

「どうだ?!」

ユーリの部屋を出るやいなやルサファが駆け寄ってくる。

「全部お飲みになられたわ・・・。」

ハディは目に涙を浮かべて言った。

「お飲みになる前に私たちに向かって、ありがとう、っておっしゃられた・・・。」

双子達も身体を震わせている。

「ほんとにこれでよかったのかしら・・・?ユーリ様は変わってしまわれたけれど、

さっき見せたあのお顔は以前のユーリ様だった・・・。」

ハディは目をつむり顔をゆがませた。

「私たちが本当にユーリ様を大切に思っていれば、きっと願いはかなうだろう。

 3姉妹、ユーリ様の部屋に出入りできるのはおまえ達だけだ。

 くれぐれもユーリ様から目を離さないように、しっかり頼んだぞ。」

「えぇ、もちろんです。陛下が戻られる前に一度ユーリ様のご様子を伺いに参ります。」

コツコツ。

ハディがユーリの部屋の扉をたたく。

返事がない・・・。

「ユーリ様、失礼致します。」

そっと中へ入ると、ユーリは寝台にうつ伏せになっていた。

床には先ほどワインを飲んだ器が落ちている。

「!!ユーリ様!!」

ハディが駆け寄る。

ハディの声を聞きつけた双子も部屋へ入ってくる。

「ユーリ様、ハディです、分かりますか?」

ユーリを揺さぶり必死に声をかける。

しかしユーリは一向に動かない。

「あぁ・・・。ユーリ様・・・・。」

ハディはその場に泣き崩れた。

(やはりこんなことをしたのは間違いだった。どのようなユーリ様であれ、ユーリ様はユーリ様だった。心からお仕えすると誓ったのだから・・・。)

「ねぇさん!見て!」

シャラが言った。

「ユーリ様はちゃんと息をしておられるわ。眠っていらっしゃるのよ。」

「え?でも、眠っているだけならさっきあんなに揺さぶったのだから声のひとつくらい出たでしょう?!」

といいつつ、ユーリの胸に耳を近づける。

「!鼓動が聞こえる・・・。ユーリ様はご無事だったのね・・・。」

安堵のため息が漏れる。

「でもねぇさん、普段より呼吸が浅くて脈も弱い。まだ油断できないんじゃない?」

リュイが言う。

「ええ、そのとおりだわ。陛下には日ごろの疲れが出たといっておきましょう。

 ユーリ様がお目覚めになるまで私たち三人が交代でユーリ様に付き添いましょう。」

目を覚ましたユーリがイシュタルと呼ばれていた頃のユーリであることを願いながら三姉妹はユーリを見つめていた。

第24話  大切なこと                 作 水青さん

ここは どこ?・・・

真っ暗・・・

あたし、なにしてたんだっけ・・・

「・・・リ」

「ユーリ」

だれ?あたしを呼ぶのは・・・

「わたしは冥府の神 セネガル

(冥府の神?)

「ユーリ、わたしはおまえを迎えに来た さぁ、いこう」

ちょっ、ちょっと待ってよ!迎えに来たってどういうこと!? 行くってどこへ!?

「・・・おまえはもともとこの国の人間ではない この国に残ってはいけなかった。

だからおまえは還らなければならない。」

還るって、もしかしてあたしの家族のもとへ!?

「いや・・・おまえの還るところは日本でも家族のもとでもない無の世界だ。」

無の世界?・・・そこってどんなところなの?

「無の世界・・・すなわち死の世界だ。」

・・・死?・・・それって、あたしが死ぬってこと!?

「そうだ。」

冗談じゃないわ!!なんであたしが死ななきゃいけないの!?

「ユーリ、おまえはこの国に来て、『ユーリ・イシュタル』と呼ばれるようになった。

イシュタルは戦いの女神でもあり美と豊穣の女神でもある。

たしかに記憶をなくす前のおまえはイシュタルの名がふさわしい女だった。

これ以上イシュタルの名がふさわしい女はいなかった。

だが今のおまえなんだ!自分のことばかりしか考えず、政治をすることを放棄した。

そんな女がタワナアンナでいいのか!?イシュタルと名乗っていいのか!?」

それは・・・

「そんな人間はこの世にはいらない・・・だからおまえを連れて行く。

 さぁ、ユーリ行こう。向こうにいけば楽になる。もうつらい想いをしなくていいんだ。」

ち、ちがう!あたしはそんなつもりじゃなかった。あたしはただ、カイルのことが好きで・・・

「だがおまえは今、その男さえも崩壊させようとしている。おまえはそれでいいのか?」

あたしがカイルを?・・・そんなこと考えたこともなかった。

あたしがいるとカイルは壊れてしまう?・・・いや!そんなのいや!!・・・

そのためにはあたしが 消えなければならない。そうするのがカイルのため・・・この国のため?

「さぁ、ユーリ!!」

でも、でもあたしは・・・

「ユーリ、なにをぐずぐずしている!!」

そう、あたしはイシュタルとよばれていた・・・

あたしはこの帝国のタワナアンナだった。だけどなにか、なにか大切なこと忘れてる・・・

「・・・あたし行けない。だって、なにかを忘れてる。なにかとても大切なことを・・・」

思い出さなきゃ、なんであたし、カイルの正妃になったの? なんでこの帝国の皇妃になった?・・・

『ユーリさま、ユーりさま』

みんなの呼ぶ声・・・

いつもみんな、あたしに笑顔で話しかけてきてくれた・・・

・・・そう、そうよ!!あたし、みんなのこの笑顔を守ってゆきたいと思った。

カイルが守ってゆくものを、イシュタルとしてカイルの正妃として、あたしも守ってゆきたいと想ったの!!

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

「・・・リ」

「ユ・・・リ」

また、あたしを呼ぶ声・・・こんどはいったいだれ?

 ・・・あ・・・光り・・・

「ユーリ!!」

「・・・ん・・・カ・・・イル?・・・」

カイルの腕が、あたしを抱きしめる・・・

「ユーリ様!!」

まわりには、みなれた顔がいた・・・

「ハディ・・・みんな・・・」

あたしの頬に、数滴の水が落ちてきた・・・

「・・・カイル?泣いてるの?・・・」

ごめん、ごめんねカイル・・・

「みんな、いままでごめんなさい・・・あたし本当はわかってたのに・・・」

「ユーリ様?」

そのとき、イルバーニが血相をかえて部屋にはいってきた。

「陛下!!」

「陛下!!」

「イルバーニ?どうかしたの?」

「!!ユーリ様!おめざめになられたのですか!?」

「ええ、いままで心配かけてごめんなさい。でも、もう大丈夫だから。」

いままでとはちがう、輝き。

あきらかに記憶をなくしたときのユーリとはちがう・・・

「ユーリ?おまえまさか・・・」

「それよりイルバーニ、いったいなにがあったの!?」

「は、はぁ、実は最近、日照りが続いており、水が不足し、農作物がとれなくなり餓死するものが耐えなく、民衆の間で暴動がおこっております。」

「なに!?」

「なんとかせねば、このままでは・・・」

そのとき、ユーリが立ち上がった

「ユーリ?」

「ユーリ様?」

「ハディ、あたしを着替えさせて。イルバーニ、あたしはいまから大神殿に移るから、準備をして。」

「は?それはいったいどういう・・・」

「いいから早く!!」

イシュタルが 再び輝きをとりもどす・・・

第25話  愛する者の為に            作 ハチ公さん  

「ハディ、イシュタルとしての正装の準備をしてくれる?」

まっすぐな目でハディを見ながらユーリは言った。

一通りの準備が整うとユーリは着替え、しっかりとした足取りで王宮に向かった。

「イル、悪いけどバンクスの招集をすぐにして。カイルももちろん出席してね」

カイルもイルもとまどいながらも、ユーリの輝く目に従った。

議員達は驚き、ざわめき立っていた。

これまで皇帝をたぶらかす、妖婦だったユーリ・・・。

冷たい目でみられても当然なのだが、今ここにいるユーリはあまりに荘厳だったからだ。

カイルさえ、その変わり様に驚いていた。

自分が本当に愛していたのは、このユーリだったのだと思い出しながら・・・。

ざわめく中にユーリの声が響いた。

「バンクスの方々には急にお集まりいただき、ありがとうございます。また、これまでの私を許してください。」

そして、深々と頭を下げたのだ。

皇帝に次ぐ権力者が!

家臣に! 

議員も、イルも、カイルもそのあまりに静かで美しいユーリの行動に思わず見入った。

「そして、ここに私は再びタワナアンナとしての自分を取り戻すことが出来ようとしています。愛する皇帝陛下、この帝国、国民の為に!」

カイルはこの言葉を聞いて急に自分を恥ずかしく思った。

いくら、ユーリとの愛欲の日々に浸ってしまっていたとはいえ、国民のことなど全く頭になかったからだ。

しかし、この「帝国、国民の幸せ」を考えることがバンクスの議員達や、家臣達、そして本来自分が最も望んでいたことだったのだ。

今ここに、イシュタルと共に皇帝としてのカイルが輝きを取り戻した。

議員も、イルも、ハディも双子も、カッシュ達も今また、この帝国が動き出すのを確かに感じた一瞬である・・・・。

        FIN