第9話 杞憂なんかじゃないはずだ 2
*-From 1-
午後7時ちょっと前、家庭教師先の玄関のベルを押す。
訪れた家はモダンな洋風の作りの2階建て。
一般家庭の匂いがホッと私を和ませる。
うちよりは断然いい暮らししていると言うのは説明するまでもないことなのだが・・・
確かこの家の旦那さん、銀行の支店長をしてると言っていた。
道明寺とは何の関係もありませんようにと心の中で祈る。
玄関先で奥さんと私が家庭教師をする予定の高校生の男の子が出迎えてくれていた。
素直そうでシャイな感じのする男の子が立っていた。
「初めまして、牧野つくしです。よろしく」
にこやかに笑って右手を差し出す。
「香川俊です。よろしくお願いします」
握手を交わし俊君がにっこりほほ笑んだ。
初めのつかみは上出来とホッと胸をなでおろす。
すぐに2階の勉強部屋案内され勉強にとりかかる。
「この問題は・・・さっき教えた数式の応用だよ」
「こう考えれば・・・」
私もまだまだ捨てたもんじゃない。
順調に問題なく家庭教師の時間は進んでいく。
やっぱり西門さん考え過ぎだ。
全然危ない雰囲気なんてこの部屋には転がってない。
道明寺にばれさえしなければこんな良いバイトはないかもしれない。
時間が過ぎるのも早く感じられた。
そろそろ終わりかな?と時計に目をやる。
なにやら下が騒がしくなったと思ったらドタドタ階段を駆け上がる音が聞こえだした。
まさか!道明寺!
私のバイトの事は西門さんが知ってても場所までは知ないらないはずと不安を振り払う。
突然バンと開いたドアに身を固くした。
「今度の家庭教師、女なんだ」
知らない男の人が立っていた。
私とあんまり変わらない様な年恰好。
切れ長の目で品定めするように下から上まで視線を移動されて嫌悪感がわき上がる。
「兄さん!邪魔しないでくれる」
俊君のさっきまで見せていた素直さは影をひそめ射るような鋭い視線で突然の乱入者を睨んでた。
「兄さんて・・・俊君の?」
俊君が無言でコクとうなずいた。
「俺、こいつの正真正銘の兄貴だからよろしく」
傲慢そうに言ってじっと私の瞳を覗き込む。
「あまり・・・顔近づけないでくれます」
息がかかりそうな距離感に身体ごと後ろに引いていた。
「失礼」
フッと笑った表情にさみしさみたいな感情がチッラと見えて、道明寺を思いだす。
全然似てないのに・・・嫌な奴。
心の中で舌を出して見送っていた。
「すいません、2歳上の兄なんです」
「滅多に家に帰ってこないんですが・・・」
「気にしてないから」
謝る俊君に家庭教師の終わりを告げて部屋を出る。
階段を下りた玄関先で、さっきの失礼極まりない奴が立っていた。
「失礼します」
その前を横切ろうとした私の腕をギュッとつかまれる。
「危ないから送るよ」
「あんたの方がよっぽど危ない」
掴まれた腕を振り切って思いっきり睨みつける。
「おもしれぇ」
ふざけた様に笑いだすそいつを遮断するみたいに玄関のドアを開けてバンと閉めて出て行った。
-From 2-
「総二郎、今日俺を誘ったのって牧野と関係あるのか?」
グッと総二郎に詰めよった。
絶対!こいつ!なんか隠してる。
なぜだか確信を持つ自信。
なンもなくて俺を誘うなんてそこからがおかしいことだ。
早く見抜けなかった俺がバカなのか・・・
総二郎が上手なのはここまでだ。
もう騙されねぇ。
ここ数日の俺は牧野に無視されて不機嫌状態持続の状態だったのだから。
わざわざ俺の愚痴を聞かされること解かっていて付き合うなんて暇なことこいつがする訳ない!
「なんで?」
総二郎の返事も仕草までも白々しく見えてしまう。
「総二郎、牧野になに頼まれた?」
「何にも・・・」
「何にもない」
口数少なく黙りこむ。
こんな時の総二郎の口の堅さは天下一品だ。
舌打ちしてこいつから聞き出すことを諦める。
「もう付き合えねぇ」
直接牧野に会えばいいだけの事だ。
「そう言うなよ。たまには俺らに付き合ってもいいだろう。牧野が逃げるわけではないし」
あきらが総二郎と俺の間を取り持つように割って入った。
「総二郎がわけ話せば、俺も落ち着く」
「総二郎・・・喋れ」
「あーーーッ!牧野と約束したんだけどなぁ」
あきらに促されようやくこいつも観念したようだ。
苦虫噛み潰したような顔は総二郎には合わない。
早くしゃべれば良かったんだ。
そうすりゃ俺の不機嫌も最小限に抑えられた。
「牧野、今日から新しいバイトはじめるってよ」
「司にばれるとうるさいて言っていたから今日はお前が牧野に連絡とれない様に俺が連れまわす約束しただけ」
あのバカ!
俺にはなんの相談もなしかぁーーーーッ。
よりによってなぜ総二郎が知っている!?
今までのパターンなら類だろうがーーーー
新しい俺の攻略法を試してみたのだろうか・・・
総二郎に単独で俺の相手させるのは無理だと今度牧野に言ってやる!
だがそのぐらいで済ませられるかッ!
俺も一つや二つのバイトは渋々でも認めているぞ!
あーーーーーー気にくわねぇーーー!
バイトを黙っていたことも、総二郎が牧野に味方したことも、全部が全部癪に障る。
すぐに会って文句の一つでも言わなければ俺の気が収まる気配はない。
「絶対会って懲らしめる!」
そう言うなり部屋を飛び出す。
俺の後ろを追いかけてくる奴は一人もいなかった。
「結局あいつ飛び出して行っちまったじゃねえかぁ」
進歩ねえぇ~とあきらが苦笑する。
「余計なこと言いやがって」
「牧野にぶんなぐられたら責任取れよ」
総二郎があきらを睨みつける。
「なに?お前が牧野かばうようなバイトってなんだ?」
「家庭教師するんだとよ、それも高校の男子」
「・・・」
「それってやばくねぇ」
「俺もそう言ったんだけど、牧野の奴笑い飛ばして危機感ゼロ」
「せめて司にばれなければまだましかなぁて助けただけ」
ため息交じりに総二郎はぼやくように言った。
「でもよ、牧野の奴、高校生に迫られたらどうするんだ?」
「気がつかないんじゃない」
総二郎とあきらの会話に類が珍しく口を挟む。
それが一番怖いんじゃねえの・・・
二人思わず顔を見合わせて司の開け放ったドアの先を見つめていた。
-From 3-
傲慢!横暴!最低!最悪!
危ないから送るてッ頼んでもないのについてきた。
「名前教えて」
「ない」
「俊に聞けば解かるんだけどな」
悪戯ぽく「フッ」と笑って私に携帯を見せびらかす仕草を見せる。
癪に障るが「牧野つくし」不機嫌なまま答えた。
「俺、香川達也」
今にも肩を抱かれそうな雰囲気に歩くペースを急がせる。
「俺嫌われてる?」
嫌いもなにもさっき初めて会っただけ。
このタイプに近づくな!
頭の片隅で警報ランプがパカパカ点滅しだしてる。
この感覚って・・・
高校時代にF4に近づかない様にしていた時の感覚に似てないか?
結局警報が鳴り響く結果になったんだけど・・・
道明寺の印象も傲慢!わがまま!横暴!暴君!
こいつより最悪だった。
「ひとりで帰れますから、離れてもらえますか?」
丁寧な言葉とは程遠い凄む声を絞り出す。
「俺のマンションこっちの方向なの」
「クク」と笑って私を追い越し数歩前を歩きだす。
街頭に照らされて明るい歩道をつかず離れずの距離で歩いた。
私の前を歩く香川達也は私の歩くペースに合わせるように歩幅をゆっくり進める。
強がってはみても一人で歩くよりは安心感がある夜の道。
私の前に伸びる影を追いかけるように影踏みを繰り返してテンポよく歩いてた。
ゆらゆら歩く動作の流れで揺れていた影の動きがピタッと止まる。
気がつくのが遅れてドンと壁にぶつかった。
胸?
「すげ~かわいい」
近づきたくないやつの胸に顔を押し付けていた。
「ご・・・ごめん」
慌てて顔を上げた瞬間・・・
信じられない感触が私を襲う。
鼻につく微かな煙草のにおい。
キ・・・ス?
キスされた?
思わず目を見開いて固まって時間が止まる。
「警戒心なさすぎ」
「俺のマンションここだから、寄ってく?」
さっき私に触れていた口元からクスと照れた笑いが漏れていた。
その声になんとか自分を取り戻す。
「パチン」
力いっぱい香川達也の頬を叩いて目の前で思いっきり手のひらで唇を拭きあげた。
「最低ッ!」
その場所から・・・
そいつから少しでも早く離れたくって駆け出した。
これじゃあ西門さんの心配したとおりだ。
こんな伏兵が現れるとは西門さんも思ってなかっただろうけど。
家庭教師続けられないよッーーーー。
明日には断りの電話を入れよう。
さっさと走って帰ればよかった。
素直に安心してた自分が情けない。
「それ見たことか」と西門さんの呆れた顔が目に浮かぶ。
走りながら何度も自分の唇を拭き上げていた。
アパートの街灯が見えだしてゆっくり歩み出す。
その街灯の下の人影がゆっくり振り返って私を方に駆け出してきた。
道明寺・・・?
なんで?
西門さんといたんじゃないの?
私・・・
今どんな顔してる?
下手な顔したら非常にヤバイが笑えない。
「てめぇ!なに携帯切ってるんだ!」
「えっ?あ・・・ッ」
家庭教師の時間から携帯の電源落としたままだと気がついた。
慌ててとり出した携帯の電源を入れる。
すごい数の留守電が録音されていた。
「もしかして・・・これ全部・・・道明寺の?」
「御蔭で1時間待った」
道明寺がぼやくように言った。
「ゴメン・・・西門さんと一緒じゃなかったの?」
「バイトはじめたんだってな?」
「まあ・・・ちょっと・・・」
「なんで俺に内緒なんだ」
「別に内緒にしてた訳では・・・会わなかったし・・・聞かなかったし・・・」
「あっ!」
不機嫌そうに道明寺が眉を吊り上げる。
「ごめん」
「でももうやめるから」
謝りながら言葉を付け足した。
「別に・・・無理して辞める必要ねぇ。俺がすげーわがままお前に押し付けてるみたいじゃねぇか」
「そんなわからず屋じゃねえぞ、俺」
もしかして・・・
西門さんから家庭教師のバイトだと言うことは聞いてないのだろうか?
知っていたら速攻止めろと言いそうだし・・・
珍しく道明寺がバイト認めると言っているのに私から辞めるなんて言ったら必要以上に勘ぐられそうな状況になってきた。
どうしよう?
どうする?
どうなる?
道明寺のシャツの胸元握りしめ顔を伏せたままめちゃくちゃ考え込んでしまってた。
-From 4-
不機嫌のまんま考えなし飛び出した。
店を飛びだしてすぐ牧野の新しいバイト先を聞くの忘れていたと気がつく。
すぐに引き返して総二郎に確かめるのが手っ取り早いと解かっているがあいつに聞くの癪に障る。
あいつらと今は顔を合わせたくはない。
いざとなればどうとでも出来る。
最後の選択したら国家権力使うなと牧野にどつかれること間違いないだろうが・・・
必要あれば容赦しねぇ!
人込みを押しのけるように歩きだす。
携帯をとり出しリダイヤルの一番最初の番号を押した。
「ただいまおかけに・・・」
ありふれた音声にブッチと手荒く携帯をきった。
こうなれば牧野の家で待ち伏せて首根っこをと捕まえてやる。
凶暴な気分になっていた。
この凶暴な気分の状態で牧野の家に行ったらどうなる?
まだ俺にも考える能力が残っているようだ。
怒りをぶちまけ放題でやりたい事やっていた状態は卒業している。
だが・・・
あいつの親に危機感を与えそうだと途中で気がついて道端での張り込みを開始した。
牧野の親に危ない奴と認識されたらヤバイ、そんな思いだった。
歩道を歩く人影が近づくたびにじっと見つめる。
疑わしそうな眼をむけ警戒心丸出しの表情で目の前を通り過ぎられた。
なんで俺がこんな思いをしなきゃなんねぇ。
天下の道明寺だぞ!
牧野がバイトの事を俺に内緒にしたせいだ。
総二郎にそれをしゃべっていることも俺の不満を増強させている。
あいつには言えて俺に言えないなんてそんなのあるかっ。
総二郎に嫉妬丸出しになって不満たらたら半径2メートルを歩き回りながら何度も携帯の留守電に怒鳴り声を押し込んだ。
1時間も過ぎた頃、人影が現れた。
たぶん・・・牧野だよな・・・
確信80%で人影に駆け寄った。
「てめぇ!なに携帯切ってるんだ!」
牧野の目の前立ちふさがる様に叫ぶ。
思わぬ俺の登場に動揺したように牧野の視線が泳いだ。
いつものような強気な態度を全く見せない牧野に俺の怒りが止まる。
このまま思ったことをギャギャー言えない様な雰囲気。
いったい何なのだろう・・・
フッと見せるさびしそうなオドオドしたような牧野の雰囲気に鋭利な感情がそがれていく・・・
そんな気分だった。
「別に・・・無理して辞める必要ねぇ。俺がすげーわがままお前に押し付けてるみたいじゃねぇか」
「そんなわからず屋じゃねえぞ、俺」
謝るあいつに思ってもいなかった言葉が飛び出した。
バイトはさっきまで止めさせるつもりだった。
俺に内緒ではじめるなんって絶対許せなくて・・・
総二郎に話したいきさつも俺が納得するまで追及するつもりだったんだ。
俺のシャツを握りしめた牧野の手が心なしか震えている。
胸に押し付けるように伏せた顔からは表情が読み取れず俺を不安にさせていた。
「なにがあった?」
牧野の背中を抱き込むようにそっと両腕を回して抱き寄せていた。
-From 5-
「ハァーッ」
自分を落ち着かせるようにため息をつく。
どう悩んでもどう考えても時間が戻る訳ではなく・・・
道明寺以外の男にキスされたことは事実で・・・
変えようはなく・・・
グッと私の心の重くのしかかっている。
西門さんの忠告も聞かず警戒心のかけらも持たなかった自分の浅はかさ。
自分が蒔いた種だ。
誰かに言って、誰かを頼るなんて出来るわけがない。
それがたとえ道明寺でも・・・
道明寺のやさしさを体中で感じながらもそこから抜け出そうと決心した。
そして・・・
また「フッー」とため息を落とす。
頭の中でこだまする「なにがあった?」と甘く囁く道明寺の声を振り切った。
「別になんもない」
自分から握りしめていた道明寺のシャツを突き放すように投げだした。
「別に、なんもないって・・・そんな雰囲気じゃねーぞ」
道明寺の声には不審げな響きが籠っている。
せつなそうな私を見つめる道明寺の視線に耐えられず道明寺を追い越す様に歩みを進めて背中を向けた。
「そ・それより、なんであんたがここにいるの?人を待ち伏せするみたいに」
ごめんと心の底で謝りながら口調を強める。
「あっ!」
「待ち伏せしてなにが悪い!お前のこと心配してたんだろうが!」
ピクッと道明寺が眉をしかめる。
「心配してもらう必要なんてないし」
迷惑そうな感じに言っていつもの喧嘩ごしのような言い合いを装う。
「本気で言ってるのか!?」
「イタッ」
背中を向ける私を振り向かせるように道明寺に強く右の手首を掴まれた。
「お前・・・さっきと全然態度違うじぇねぇか」
不満を押し殺しながらも道明寺の瞳が愛しげに見つめている。
「本当に・・・なにもないから・・・大丈夫」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
力強い腕がギュっと私を包む。
「俺を騙そうなんて思うなよ。お前の挙動不審は全部解かるからな」
自分の胸元に抱きしめるように道明寺が私を抱きよせる。
「お前を守るのは俺だから・・・ほかの奴らにこの役を譲ずるつもりもない」
「よく覚えとけ」
いっぱいいっぱいにだきしめられその密度はましていく。
私に対する道明寺の思いが私の全身にやさしく染みいる。
その思いに切なさが込み上げ、泣きたくなってきた。
流されそうになる思いを断ち切るようにグッと目をつぶって涙をこらえる。
ただただ・・・
今日の事だけは道明寺に知られたくないとその思いが私の心を占めていて・・・
感じたままに素直に道明寺を受け入れられない思いがそこにはあった。