幸せの1歩手前 5
*暗めに落とされたオレンジの光に包まれた数坪の小さなお店。
カウンター席に数人がけのテーブル。
十数人はいれば満員になりそうだ。
静かに流れるジャズの音楽に心地よく耳を傾けた。
雰囲気としては静かに落ち着ける感じのお店。
迷いもなく玲子さんは中央のカウンター席に座った。
そのまま私も隣に腰を下ろす。
「マスター、新しく入った子だからよろしくね」
「いらっしゃいませ」
白髪交じりの短めに整えられた髪型。
品の良い口髭が印象的なマスターがにこやかに慣れた調子でおしぼりを玲子さんと私に渡す。
「つくしちゃん、ここはお酒も料理も最高よ」
メニューの中から飲み物と食べ物をいくつか玲子さんが注文した。
「褒めても何も出ませんよ」
サーバーからグラスに注ぐ琥珀色のビールがきめ細かな泡を作る。
グラスいっぱいに注がれたビールが目の前にゆっくりと置かれた。
「ビールが出たけど」
「注文したでしょう」
二人の会話に「クスクス」と声が漏れた。
「就職祝いと弁護士の合格祝いだからよろしくね」
「二人だけでですか?」
「甲斐君が後で来るけどね」
軽快なノリの会話。
「それじゃ今日は玲子さんのおごりですか?」
「なら、高いものをじゃんじゃん出すけど」
「就職したばかりだと何かともの入りでしょう」
「このお姉さんなら面倒見がいいから甘えてもいいですよね」
マスターの口髭が口角とともにゆっくりと上に持ちあがる。
「少しのわがままもばっちり聞いてくれるでしょうから」
カウンター越しに私に近づいたマスター顔がにっこりとほほ笑んだ。
「つくしちゃんなら俺よりお金持ってるよな」
「甲斐さんはいつでもピーピー言ってるじゃないですか」
背中越しに聞こえる甲斐さんの声に椅子を回転させて眺める。
「ひどいなマスター、そればらされたら先輩の立つ瀬ないでしょう」
マスターの言葉を簡単に受け流して甲斐さんが私の隣に座る。
私を挟んで3人でビールの入ったグラスを重ねた。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「あっ、甲斐さん、お金を持ってるのは私じゃないですからね」
不服気味に唇を尖らしてカウンターの上に置いた拳がドンと音を鳴らした。
「あっ、悪気はないから」
「悪気があったらなお悪いですよ」
ごめんと目の前に手を合わせる仕草を甲斐さんが作る。
「そうそう、つくしちゃんの金銭感覚は私は好きだな」
「バーゲン好きだもんね」
ポンと玲子さんが私の肩に手を置いて顔を覗き込まれた。
まるでそれは私を慰める様な雰囲気。
何度か一緒に行った買い物。
ワイワイ、キャーキャー言ったノリは優紀やママとのショッピングを思い出させて楽しめた。
「安いって言葉には反応するんですよね」
「財布の中身が数千円だったのにはびっくりしたなぁ」
「必要以外のお金は持たないんです」
「つーか、お金は持ってない苦学生でしたからね」
「財布にお金があると落ち着かなくて・・・」
ことお金のことになると小心者になる。
「今も自分では同じ感覚なんですけど」
「世間はそうは思ってくれないってとこか」
思慮深げな表情で甲斐さんがつぶやいた。
英徳卒業。
それだけでもお金持ちの印象を世間は持つ。
その上道明寺の名前の威力は絶大だ。
婚約発表の時に公開されたラーメン大食いの写真はインパクトが強すぎて、普段の私と結びつかないから、
道明寺つくしと名乗らならなければほとんど他人に気付かれずに済んでる。
道明寺本社以外ではの注意書きが付くことはしょうがないと受け入れている。
なにが幸いするかはわからないものだ。
あのときはなぜあんな写真を公開したのかと道明寺を責めたことは忘れて、感謝しないといけないのかもしれない。
「今の職場の雰囲気好きなんですよね」
「特別扱いじゃなくて、妹みたいに可愛がってもらってるし」
「これからもお願いしますね玲子さん」
姿勢を正して玲子さんを正面に見据えて頭をちょこんと下げた。
「やっぱり、つくしちゃん可愛い」
下げた私の頭の上で髪の毛をクシャクシャンする様に玲子さんの指先が動く。
少しアルコールが回ってきてないか?
「お願いされるの玲子さんだけ?俺は?」
「甲斐は邪魔だって」
私の首に巻きくように腕を動かしてにっこりと玲子さんが笑みを浮かべた。
やっぱり・・・
玲子さん、酔っぱらってるーーーッ。
「俺もつくしちゃん好きなんですから」
冗談ぽく響く甲斐さんの声。
「誰が好きだって」
すぐに天上から降りかかる様な威圧的な声が聞こえてきた。
足元から冷気が流れて室内の温度が数度下がる。
私を好きだと言った甲斐さんは一瞬にして凍らされたように微動だにしない。
「ど・・・みょうじ・・・」
焦る様に首を伸ばして見上げた視線の先で皮肉交じりに口角を上げて冷淡な笑みを浮かべてる道明寺が見えた。
拍手コメント返礼
b-moka様
甲斐さんは大丈夫でしょうが、つくしはどうなるかは保証なし♪