下弦の月が浮かぶ夜23
*3日ぶりに仕事を終えて帰宅のマンション。
この三日間仕事に没頭することで無意味なことを考えずに済んだ。
今は心の落ち着きを取り戻している。
ふと思い浮かぶ寂しさも一瞬だけの淡い思い。
昇華出来ないはずはない。
きっと・・・。
たぶん・・・。
今までどおりの関係でいれるはずだから。
ドアを開けて玄関に入る。
ドアノブをまわして踏み入れた瞬間に新しい自分に生まれ変われる。
そんな気がした。
リビングからわずかに漏れる蛍光の明かり。
賑やかな笑い声が漏れているテレビの声。
今まで俺の空間にはなかった音域。
モノクロの世界が色を帯びた様な違いだろうか。
この明るさが今は必要なのかもしれないとふと思った。
数メートル延びた廊下を歩いてリビングの扉を開けた。
振り向いた相手は驚く表情で声を発することも忘れてしまってる。
口にはレタスを咥えたままの状態。
テーブルの上にさっきまで手に持ってパクついてたサラダボールをボンと慌てた様に置いた。
「やぁ」
笑いそうになる声を押し殺して表情を隠す。
「お・・・かえ・・り・・なさい・・・」
とぎれがちの声。
やや高め。
自分の部屋に戻ってきてここまで驚かれるのは意外だ。
「もしかして、今日の夕食それだけか?」
サラダを指さした俺に「健康にはいいのよ」といつもの地を葵がとり戻してる。
「お金なかったか?昨日は給料日だよな?」
「もしかしてダイエットか?」
ギュッと唇を噛んで黙り込んだままの上目の視線で葵に睨まれた。
図星か・・・。
「どっちかというとほっそりよりぽっちゃりのグラマーが好みだけど」
「やせるなら胸は落とすなよ」
何となくからかいたくなる相手。
「別にあなたの為じゃないからね」
それは最初からわかってる。
「週末友達の結婚式があるの」
「結婚式で綺麗にしたいのって花嫁じゃないのか?」
「いろいろあるのよ」
「どんな理由だ」
俺の言葉に考え込んだように沈黙。
「もしかして花婿が昔好きだったとか付き合ってたやつとか?」
無言のまま垂れ下がる頭。
これも図星か。
「今でも好きなのか?」
ブルブルと頭が左右に振られる。
「大学の先輩だったんだけど、相手の女の子と私は二股かけられてたんだから」
「1度に数人の女の子と付きあうなんて最低でしょう」
それに関しては俺がどうこう言える立場じゃない。
相手に別な女がいるのばれる様な付きあい方はしてないけどな。
その辺は慎重に行動している。
今となっては『していた』過去形だ。
「二股かけていたこと後悔させてやるんだから」
葵のボルテージが上昇気味になってきた。
「大した付き合いしてなかったというのだけが救いだったんだよね」
「あんな男が初めての相手だったらたまんないわよ」
「それ以来、男なんて全く信用できないんだから」
「なのになぜまたここで好きでもない男と一緒に暮さなきゃいけないのよ」
俺の存在を忘れた様に葵が叫んだ。
好きでもないと強調されてしまってる。
その反応が新鮮で嫌味がなく清々しく感じてる俺もどこかおかしくないか?
嫌いと面と向かって言われた様なもの。
生まれて初めての体験だ。
それよりも他の葵の発言が気になった。
まて・・・
二股男意外付きあってないようなことをするりと告白されてしまったぞ。
「・・・もしかして、お前・・・経験ないのか?」
「悪い」
キッと睨んだ顔が見る間に赤くなる。
「しょうがないでしょ、そんな相手いなかったんだし・・・」
牧野より奥手がいるとは思わなかった。
婚約者にするというより彼女にする以前の問題。
簡単に手が出せる相手じゃない。
相手にする気はさらさらない。
それでも・・・。
やっぱこいつは面白い。
自然と顔がほころび笑い声が漏れる。
「手伝ってやるよ」
「えっ?」
「女性を綺麗にするのは自信があるから」
「それに綺麗になるのを見るのは嫌いじゃない」
真っすぐに見開かれた大きな黒色の瞳。
視線がぶつかったままわずかに葵の頬が桜色に染まった。