下弦の月が浮かぶ夜 47

*

昼過ぎ出先の用事を済ませて社内に戻った。

葵が出勤しているのを最初に確認してホッとしている。

仕事以外の感情が先になって秘書を見るなんてはじめてのことだ。

部下には手を出さない。

その信条だけは持っていた。

最初から部下と思っていなかった分どうも葵は勝手が違う。

まだ手は出してないけどな。

司は牧野のことを秘書に置いておきたい願望を大いに見せたが、俺にはわかんねぇよ。

落ち着かない。

俺と交わった視線はすぐに外された。

隠す様にうつむいた顔。

わずかに染まる頬。

照れてる様に見える。

俺のことを気にしてる感じ、脈ありか?

「社長」

聞こえた声は葵じゃんなくて俺の第一秘書だった。

早速一之瀬から説明を受ける午前中の仕事の伝達事項。

それを受けながらそのまま秘書室を通り過ぎて執務室へと居場所を移す。

葵と言葉を交わす暇もない。

その方がいいと思う反面、気が散るのも隠せない。

まだ、あいつの返事を聞いてない。

返事を聞く前にあいつの唇を塞いだの俺なんだけど。

嫌がってはいなかった。

素直に反応していたし・・・。

あの先に行きたい衝動を押さえこむのに苦労した。

離れがたい唇を離したら「けっ結婚前にこんなことするなんて・・・」

葵の憂いを帯びた表情がドギマギとした表情に変わって、発した言葉を噛む。

「結婚までダメ」

本気でやられたら俺はどうするのだろう。

その考えを俺が変えてやるのも楽しそうだ。

「何かいいことでもありました?」

「・・・べつに」

「なんだか、楽しそうですよ」

報告の終わった一之瀬は温和な表情をつくる。

秘書から離れた息子を見る様な母親の顔。

これだから一之瀬には隠し事はできない。

葵と俺との間に何かあったと、きっと気が付いているはずだ。

「よかったですね」

まだわかんねぇよ。

「明日からこっちの仕事全部キャンセルだ」

一之瀬の気をそらす様に仕事モードに引き戻す。

「香港の仕事を先に片付ける」

「赤西様ですか?」

「トラぶってるみたいなんだよな」

部下の報告は午前中だけではらちがあかなくて、俺が現地に行くしか解決出来ない状態に追い込まれた。

「手配はしておきます」

「同行する秘書は東條に頼みます」

東條・・・って・・・

葵?

出張中はほとんどべったり、四六時中一緒に行動だ。

今の状況でもあんまり歓迎できない状態。

「いつもは一之瀬だろう?」

「こっちの仕事が終わらないので仕方ありません」

ピシャっとヤダと伸ばした手を手のひらで叩かれた気分だ。

「1週間だぞ!?」

「一緒に住んでるんですから、今さらでしょう?」

「ホテルの部屋は1室でいいですよね?」

押し倒せるかどうか分かんない相手だぞ!

や・・・ッその前に今回は仕事だ。

色気の有る様な事は禁忌。

「・・・二部屋頼む」

「分かりました」

クスッと笑いが浮かぶ口元を片手で隠す一之瀬は一人でやけに楽しそうだ。

「年相応の恋愛も楽しいものですよ」

何もかも分かってますといいたげな一之瀬。

だから悩んでるんだよ。

言いたくなった。