涙まで抱きしめたい 7

専務付きの秘書になった葵ちゃん。

嵐が起きないかなぁ~と思ってる私。

あきら君ごめんね。

先に謝っときます。

*

「東条、噂の的だね」

廊下で偶然すれ違った里中先輩はにっこりとほほ笑んだ。

「社長から今度は専務なんだって?」

「情報早いですね」

「周りの女子社員が騒いでるからどこからでも噂が入る」

「僕と付き合ってるってことになってるから心配ですねって声をかけられて困る」

ウインク気味に里中先輩は片目をつぶって見せる。

「えっ!付き合ってることになってるんですか!」

「噂のもとは君の友達だよ」

「すいません」

突拍子もない声が頭の先から飛び出した。

「いいよ。今は僕も誰とも付き合う気がないから助かってる」

里中先輩が会社の女子社員に人気があるのがわかるような屈託のない笑顔を見せる。

そんな顔を見せられたらまた誤解されちゃう。

壁に背にして何気なく会話を続ける私たちの横を通り過ぎる社員を必要以上に意識しだして俯き加減に顔を下げた。

「あっ、東条に振られたからじゃないから誤解はするなよ」

好きな人がいると告白したただ一人の人。

なんだか里中先輩には付き合いを断るためとは言え、すごく恥ずかしい心の内を素直にさらけ出してると思ってる。

このまま顔をあげたら火を噴き出しそうな熱さだ。

「そんなに恐縮されたら困るよ」

勘違い気味の里中先輩に今は同調した方がよさそうだ。

「お詫びは、食事でも付き合って、もちろん下心はないから。どうせなら東条の彼氏を見たいんですけどね」

おどけたそぶりで言ってクスッと先輩は笑顔を浮かべる。

「じゃぁ、7時な」

「えっ!私返事してませんよ」

「お詫びだぞ!」

押し付け気味なのにすがすがしく聞こえる明るい声で軽く上げた片手。

私の声は聞えてないとでもいう様に左右に振られて先輩の姿は見えなくなった。

「デートの約束?」

聞き覚えのない男性の低い声。

振り向いた目の前に優しげな瞳。

目を細めて見つめる表情は少しあきらに似てる気がした。

通り過ぎる女子社員が少し頬を染めて頭を下げる。

それに応える様に男性は右手を軽く上げてにっこりとほほ笑んだ。

この対応もあいつに似てなくないか?

「東条 葵さんだよね?」

知らない人に名前を知られているのは緊張が走る。

「今日からよろしく。僕は美作翔平」

少しウエーブのかかった黒髪はきりっとした眉毛にわずかにかかる。

スーと通った鼻筋。

薄めの唇は上品に名前を告げる。

「よろしくお願いします」

慌ててあいさつを交わしても視線は外すことができなくて、美形の家系というのに納得してしまた。

その中にあきらと似ているバーツを探してしまう自分。

何を考えてる!

今更ながらに自分の心の中にあいつが占めている割合の大きさに気が付いてしまた。

「デートのことあきらに知られたら大変だろうね」

悪戯っぽい表情が目の前に迫る。

「えっ?何のことですか?それにデートじゃありません」

「君とあきらのことは知ってるから隠さなくてもいいよ」

ワーーーーー

思わず周りに声が漏れてないか確認するように視線をさまよわせた。

「そんなに焦らなくても」

ククッと小さく笑い声が常務からこぼれる。

「俺も君の見合いの相手の一人だったからね」

えッ?

そんな話あったの?

今更ほかの人が入り込む場所があるわけない。

この人事も何かあり?

あきらはこのこと知っている?

だから昨日あんなに気を付けろとか言ってたのだろうか。

それなら社長の権限で私の異動を阻止するとかするんじゃないの!

たった一つの言葉で私の感情は行く場所がなくて持て余してる。

なに考えてるのよ!

すぐに社長室に怒鳴りこんでいきたい気分だ。

「今からでも遅くないかな?」

「あっ!ハイ?」

何を言われてるのか頭の中は整理できないまま返事だけしてしまってた。