迷うオオカミ 仔羊を真似る 3
「つくしが倒れて病院に運ばれたみたいだから、ママは今から行ってくる」
図書館からの帰り道いつものように帰るコールを入れた僕に聞こえた慌ててるママの声。
健康だけが取り柄のようなおねぇちゃんが倒れるってこれで二度目。
高校の時は働きすぎの疲労が原因。
今はバイトの掛け持ちもやってなくて疲労が蓄積されることもないはずなんだけど・・・
「僕も直ぐ帰るからまってて」
雲一つない空から照り注ぐ太陽。
うるさいくらいに鳴く蝉の声。
おねぇちゃん・・・熱中症かな?
一歩足を進めただけで吹き上がる汗。
その汗をぬぐうこともせず僕は家を目指した。
開いたままの玄関のドア。
そこから異様な空気が流れて熱い外気と混じる。
長身の身体を包みこむフィットしたスーツ。
柔らかそうな生地は一点ものの高級品。
ブランドに興味のない僕にもわかるその品質。
道明寺さん・・・
目の前のすらりとした姿を通り越して移した視線の先でママが固まってる。
いつもなら両手を上げてお祭り騒ぎ有頂天で出迎えるはずの姉貴の婚約者。
見たくないものを見た!
そんな表情のママを借金取り以外で初めて見た気がする。
「牧野はいないんですか?」
「それが・・・」
歯切れの悪いママが僕に気が付いて言葉が途切れる。
「進、帰ってきてくれたの」
僕が帰ってきたことをこんなに喜ぶ母さんも初めてかも。
僕はまだバイト代もらってないから・・・。
ママの手には紙袋。
今から出かけようとしたところで道明寺さんが家に来たってところでばったり。
それなら一緒にお姉ちゃんの病院に行けばいいだけのこと。
なのに母さんのあたふた感は異常。
もしかして・・・
お姉ちゃん重症なの?
「ママ!おねぇちゃん大丈夫なの!」
叫んだ僕に母さんはぶるぶると犬が濡れた毛から水滴を飛ばすように左右に振った。
?
それって・・・
ダメってこと・・・
そんなに?
おねぇちゃんの症状より道明寺さんに知られたくなってママの雰囲気に気が付くには遅かった。
「おい、弟!」
「え?・・・はい?」
「牧野に何かあったのか!」
グイと肩を握られて僕は鷲に鷲掴みにされて逃げられない鼠。
このまま巣穴に運ばれるのは時間の問題。
「倒れて、病院に」
いい終わらないうちに道明寺さんは風のように走っていった。
ママに向かって放り投げられた僕を受け止めてくれたのはママ。
「もう、道明寺さんには内緒って西田さんから言われてたのに」
「どうして内緒なの?」
「つくしの疲労の原因は道明寺さんが大半を占めてるだろうからって」
「お姉ちゃんって今回も過労なの?」
「そうみたい、一晩寝たら大丈夫だろって連絡貰ったから着替えだけ持っていこうと思ってたのよ」
「あのさどうしてお姉ちゃんの疲労の原因が道明寺さんになるわけ?」
大学の勉強に道明寺さんの屋敷で週の半分は花嫁修業をしなきゃいけないおねえちゃん。
そのくらいのことで根をあがるようなお姉ちゃんじゃないことは知ってる。
「進は知らなくていいの!」
動揺丸だしのママの顔は耳まで真っ赤だ。
僕・・・聞いたらいけないことを聞いたのだろうか・・・
牧野が倒れた!
それなら直ぐに俺のところに連絡が来ない!
それを追及するのは後。
直ぐ様調べるように西田に連絡を入れる。
「東都病院です」
俺が聞く前に即答で聞こえた声は直ぐ様切れた。
なんだ・・・
知ってんじゃねぇか。
「どうしてすぐに俺に連絡しない」
西田を責めるより今は牧野のほうが先だ。
何があった?
事故とか事件とか。
襲われて倒れた地面があいつの血で赤く染まる。
心臓がきりきりと痛んで吐きそうな気分。
牧野!
きりきりと唇をかむように牧野の名前を呼んだ。
病院についた車から飛び出して目指したあいつの病室。
「牧野!」
蹴破る勢いのままにドアを開けた。
「ん?」
え?
俺をきょとんと見上げる牧野。
右手に箸を持って左手は器を持つ。
今そうめんをすすったって口元はチュルリと残りのそうめんを啜った。
「お前!倒れたんじゃねぇのか!」
心配しすぎておかしくなりそうだったのになにのんきに食事してんだよ!
今までの不安から一気に解放されて安心したのは一瞬。
この落差に怒りに似た感情がふつふつとうきあがる。
「道明寺来てくれたんだ」
目の前で嬉しそうに頬をほころばせる牧野が俺の不満を融解させる。
俺に会えたのがそんなにうれしいか。
「バイトで倒れたんだけど、疲労だけだから明日には退院できるって。
心配かけてごめん・・・」
「ひっーー」
牧野の無事を確かめたくって両手で思い切り抱きしめた。
肩の上に顎をのせたままの牧野の引き攣る声。
それじゃまるでヒキガエルだぞ。
苦しそうなうめき声を上げながらも箸はしっかり手に持ったままなのがこいつらしいっていったらこいつらしい。
「聞いてねぇぞ」
「え?」
「バイトだよ」
「あっ・・・バイトね・・・」
「俺に内緒にしてなきゃいけないようなバイトしてんじゃねぇだろうな?」
「それはない」
ぶるぶると牧野の手に持った箸が俺の鼻先で左右に揺れる。
「室内プールの監視員」
「プール?」
夏のプールっていえば若い男も大勢・・・
気分もはじけて開放的で危ないんじゃねぇのかよ。
自分でもこめかみがピクついてくるのがわかる。
「大丈夫だよ」
「何が?」
もうほぼ不機嫌の域は限界に達してる。
「プールって言っても児童プール。
来てるのは小学生以下だから」
「それじゃ、どうして内緒なんだ?」
「ないしょってわけじゃないけど・・・道明寺が聞かなかったから・・・」
「俺から、聞かなきゃお前は何も俺に教えないわけだ」
拗ねてる態度はすでにガキ。
「あのね!」
不機嫌に向けた俺に不機嫌な顔が俺を睨みつける。
「私の疲れがたまってるの半分は道明寺のせいだからね」
膨れっつらはそのまましまったという表情を見せて赤く染まる。
えっ・・・
牧野が疲れる原因が俺って・・・
「寝不足のようでしたからつくし様の喜びそうなことを提供させていただきました」
西田が俺に向かって言った言葉が頭にふと浮かんだ。
寝不足の原因って・・・
あれだよな?
牧野に負けず劣らず顔が熱くなってきた。