ラムセスの誘惑

 第1章

もう少しであった。
抵抗するユーリを自分の体の下に支配し、その動きを奪うと強引に唇を重ねる。
嫌がるユーリの体の自由を奪うと白いなめらかなからだに唇を這わせた。

ユーリの足に指を滑らせ、ユーリを自分のものに出来ると思った瞬間、邪魔者は現れた。
衣服を剥ぎ取られ、助けを呼ぶユーリがその男の脳裏に怒りを走らせその怒りを全身に表わして叫んだ。
「貴様、剣を抜けぶち殺してやる」
息を切らせながら高揚する表情が険しくなり剣を抜き、ラムセスに襲い掛かかる。
ラムセスは、すばやく立ち上がると慌てる様子もなくユーリを自分の体から開放し剣を握り締めた。
電光石火のごとくカイルの鋭い剣先がラムセスの頭上めがけて打ちおろされた。
その攻撃をかわすとすばやく体制を立て直す。
ラムセスは、カイルを甘く見ていた。
皇子のなまくら剣など相手にならぬとあなどっていたのだ。
剣を交え、思はぬ時間の経過がラムセスを窮地に追い込んだ。
皇子の身をあんじた部下が追いついてきたのだ。
ヒッタイト帝国の皇太子が一人で来るはずなかったな」
「皇太子の身分にはかなわねーや、だがあんた個人に負けたわけじゃないぜ」
ラムセスは剣を収めながら裏口に駆け込むと、つないである馬にかけ乗り鞭を入れた

追っ手を振り切るとエジプトに向けラムセスは馬を走らせる。
ユーリと出会ったのはツタンカーメン王が若くしてなくなり、次のエジプト王としてヒッタイトの皇子ザナンザを迎えるため、護衛隊長として二カ国の国境へと迎えに行ったときのことであった。
その時のことをいまだに鮮明にラムセスは思い出す。
ナキア皇妃の策略によりザナンザ皇子は命を落とし、傷ついたユーリを助けたのも運命だったとラムセスは今でも思っている。
もともとラムセスは他国の皇子をエジプトに迎える事には反対を唱えていた。
今のエジプトは腐敗している。
暗殺、賄賂の横行、陰湿な策略どれをとっても反吐が出る思いをラムセスは、募らせていた。
エジプトでは力と策略さえ駆使すれば自分がファラオになることも可能だと思っている。
力を持った王が必要であり今のエジプトを変えられるのは自分しかいないと野心を思っていた。
自分が国を治めるとき、じゃまにならない女が欲しかった。
出来る事なら役に立つ女を側においておきたかった。
王の寵姫として権力を持つようになる事は止められない。
本来なら王の女は男と同じような器量を持ち、同じ考えで物事を見極められるそんな王妃が理想といえるが、本当にいるとは思ってもいなかった。
しかし、ヒッタイトの皇太子が手に入れていたのだ。
ユーリの存在を知った瞬間、手に入れたいと思った。
黒き髪、黒き瞳、そしてすべらかな象牙色の肌をした小柄な少女を、強引に奪って自分の側に置いてみたい欲望を抑えることは出来なかった。
しかしラムセスは、無謀な行動には出るほど無能ではない。
ラムセスは時期を狙っていたのだ。
ユーリを奪う瞬間を・・・。
野心に満ち燃えるような眼で確実にその瞬間を捕らえた。
皇帝暗殺の汚名をきせられカイルのもとを離れたユーリを手に入れるのは時間の問題だったといえよう。
ただ一つの誤算を除いては。
嫌がるユーリをエジプトまで連れ帰るつもりであった。
カイルが現れたのがそのただ一つの大きな誤算であった。

エジプトのテーベに着く頃にはもう日は沈んでいた。
金とセピアの異種の瞳を持ち漆黒の鍛えぬかれた体を、心地よく風が通りぬけた。
「久しぶりに屋敷に帰るか」。
新たなる目標を見極めた様にラムセスは馬のきびすをかいし、走りなれた道を急いだ。
「お帰りなさい、無事に帰ってきてくれたのですね」。
ラムセスを真っ先に出迎えたのは母トーヤであった。
ラムセスはこの母が苦手である。
母親に軽く目をやっただけで足早にその前を通りすぎた。
ラムセスはできるなら母親と顔を合わせることなく過ごしたいと本気で思っている。
王家の血を引く母親は気位が高いだけの女でありそして、男に頼ってしか生きられない女だと思っている。
父親の愛が側室に移るとただ正室の気位だけで生きてきたような母をラムセスは典型的な王室の娘だと内心さげすんでいる。
ラムセスが生まれると、父親に対する不満がラムセスに変形した愛情となって向けられた。
この母親は憎悪の言葉でしか父親を語らない。
物心がついた頃からラムセスにはそれが不思議でならなかった。
父親は根っからの軍人であり、ラムセスに強靭な体と冷静な判断能力をうえつけた。
父親は厳しかったがラムセスの憧れであった。
父親への憧れが強くなればなるほど、母親の態度が許せなかった。
この母親から生まれた事も打ち消したくなる感情がラムセスの母に対する態度を冷たくさせた。
ラムセスは自分の部屋に戻ると倒れる様にベットに疲れた体を投げ出した。
静かに眠りにすいこまれる身体とはうらはらにラムセスの過去の記憶が呼び戻されていた。

二章


それはラムセスが15歳の誕生日を迎えたばかりの頃である。
屋敷には父に面会を求め多くの人々が訪れた。
年頃の娘を持つ親にとってラムセスは格好の結婚相手である。
まだ恋も知らぬ少年の周りには自分の娘を売りこもうとする大人達の邪悪な考えであふれていた。
その大人達から逃げる様にラムセスは屋敷から抜け出した。
流れるナイルの河のほとりで一日中過ごした事もあった。
「何してるの」
ある日、くさむらに腰を下ろし時をつぶしているラムセスにむかい、のぞきこむようにして一人の少女が声をかけてきた。
突然の少女の出現がラムセスを戸惑わせた。
いや、そればかりとはいえなかった。
沈む夕日を背に立っている少女は美しかった。
スミレ色の瞳を大きく見開き、腰まで長く伸ばした髪は金色に淡く輝いていた。
その美しさにラムセスは少女から目を離すことができなかった。
「ラムセス様~」
ラムセスが声を出そうとした瞬間にラムセスを探しに来たものの声が響きわたり、ラムセスの言葉を飲みこませた。
「名前は?」それだけ聞くのが精一杯であった。
「イシス」
少女はにっこりとほほ笑むと小鳥のさえずりのような声で名乗った。
その名前を胸にラムセスは声のするほうに向かって駆け出した。

少女は勇気を振り絞ってラムセスに近づき声をかけた。
しなやかに伸びた身体をくさむらに投げ出し、静かにナイルの流れを見つめる少年は少女の心を動かした。
何を思っているのか、少年の姿は孤独さを漂わせ、誰をも寄せつけぬ様な雰囲気をかもし出している。
しかしイシスの目に少年は悲しげに見えたのだ。
何か解らぬ思いがイシスの心を支配しはじめ、ラムセスにイシスを近づけさせた。
声をかけたイシスに対しラムセスは迷惑そうに見上げた。
イシスは自分を見上げる少年の瞳を綺麗だと思った。
金とセピアに輝く瞳はまっすぐにイシスを見つめ返していた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
いや一瞬だったかもしれない。
少年の返事を待つ時間がイシスには永遠にも感じられる。
しかし声を聞きたいというイシスの思いはラムセスを呼ぶ声に打ち消された。
少年は無造作に立ち上がると、言葉すくなにはっきりとイシスの名を聞いた。
イシスは自分の名を告げるのが精一杯であった。
そしてラムセスの名をイシスの胸に刻み込み夕暮れへと少年は消えていった。

二人の再会は突然やって来た。
一人の貴族に連れられイシスはラムセスの屋敷に姿を現した。
二人の驚きは、感激に変わっていった。
「また逢いたいと思っていた」。
ラムセスはこの機を逃すまいと少年の率直さでイシスの腕を取った。
「私も、会いたかった」。
イシスは頬を赤く染めうつむきながら小さくつぶやく様に答えた。
イシスの無垢な心とラムセスに向けられるひたむきな愛情は、ラムセスを夢中にさせるには十分だった。
「もっといっしょにいたい」。
二人で過ごす時間が積み重なっていけばいくほどラムセスのイシスに対する思いは募っていった。
その思いはイシスも同じである。
ラムセスに見つめられるだけでイシスは幸せであった。
「愛している」
そう言うとすらりとした腕を伸ばしラムセスはやさしくイシスの放漫な黒髪に細い指をからませ、自分の胸に抱き寄せた。
「イシス、君のためならなんでもしよう」。
「君の望みをかなえられるよう力をつけよう」。
イシスの上にかがみこむ様にして耳元でやさしくラムセスはつぶやいた。
「あなたの側にいれるだけで、それだけが私の望みなの」。
そう言うとイシスは漆黒の胸に顔をうずめラムセスのじゃ香のにおいに包まれた。
ラムセスはいとおしむように肩からイシスの顔へ指先を優しく動かし顎をそっと上に引き寄せる。
二人の瞳が重なりそしてイシスの唇へラムセスの唇が近づく。
そっとふれあうように軽く二人の唇が重なりあう。
少し震えて目を閉じているイシスがどうしようもなくいとしく、ついばむように唇を幾度も重なり合わせた。
「愛している」
ラムセスはもう一度そう言うと、今度はイシスの唇の上に熱く息もできぬほどの情熱的なくちづけをした。
あふれるほどのラムセスへの思いがイシスを包んでいった。



第三章

「イシスを妻に迎えたい」
ラムセスは両親を目の前にこう切り出した。
ラムセス、イシスともに16才の夏を迎えようとしていた。
ラムセスはこの一年で少年のあどけなさから、希望に輝く青年へと成長していった。
ラムセスの未来は明るい誰もがそう思った。
イシスは少女の可愛さから華やかな顔立ちへと変化し、テーベの男たちの目をくぎづけにした。
ラムセスの思いのたけを父は目をつむり静かに聞いていた。
しかし母は違っていた。
「私は許しません」
「あなたにはファラオに願い出て王家のしかるべき姫を思っています」。
「イシスなど側室の1人にでも加えればいいでしょう」。
ラムセスが言い終わらぬうちにトーヤはラムセスの一番聞きたくない言葉を耳にする事になった。
ラムセスには母の言葉は予測できていた。
「あなたに許可をもらおうとは思ってない」。
ラムセスは父に視線を向けたままはき捨てるように言いトーヤには目もくれない。
「あなたはなにも解ってないのです」。
そのラムセスの態度を和らげようと母は声を落としラムセスを抱きしめようと近づいた。
「父上」
その手を払いのける様にラムセスは叫んだ。
「今度の遠征でのおまえの働きが一人前と認められれば考えよう」。
険悪に流れる二人の間を断ち切る様に父は言いラムセスを諭した。
「解りました、期待にそう成果をあげてまいります」。
そう言うと一礼しラムセスは両親の前を去っていった。
あなたのことを一番愛しわかっているのは私ですよ。
そのラムセスの背中に刺すような視線を投げ、策略を張り巡らそうとしているトーヤの思いをラムセスは知る由もなかった。

遠征より帰途に着いたラムセスはまっすぐにイシスの元へ向かった。
初陣とは思えぬ手柄を土産にラムセスはイシスのもとへと馬を走らせた。
イシスは変わらぬ笑顔で優しくラムセスを迎えた。
久しぶりにイシスとあったラムセスは、自分を止めることが出来なかった。
なぜ幾日もイシスと逢わずにいることが出来たのか、不思議な思いと後悔がラムセスを突き動かした。
「どうして、逢いに来てくれなかったの」。
少し責める様な口調でイシスはそういうとラムセスに背を向けた。
「ごめん、父について兵を動かしていた」。
そう言いながらラムセスはイシスをしなやかな腕で背中から抱きしめ、耳元でやさしくささやいた。
イシスは甘える様に自分を力強く抱きしめる腕に細い指先を絡めた。
ラムセスを見上げるイシスに魅入られる様にラムセスはキスをした。
彼女から放たれる甘い香気はラムセスを官能的な世界へ連れ去り、イシスのなかに自分を刻み付けたい衝動にかられていた。
その思いが片腕をイシスのウエストへと導き彼女を自分の胸へと引き寄せた。
やや驚いた様にラムセスから身体を離そうとするイシスにもう一度ラムセスは熱いくちづけし、イシスの動きを奪った。
「父は君を妻にする事を認めてくれた」。
そう言うとイシスの上に漆黒の肌を重ねる様にラムセスは身を伏せた。
そして精悍な頬をイシスの胸にうづめ、そのふくらみに優しくそして力強く口づけた。
イシスは身体をこわばらせラムセスのキスの嵐を身体じゅうに受けている。
そんなイシスの戸惑いがラムセスを優しくさせた。
「怖がらないで、愛している」。
そう何度も繰り返しラムセスは自分の持てるすべての思いをイシスに捧げた。
徐々にイシスは身体の中に眠っているはずの甘やかな喜びの感情を目覚めさせ、その腕をラムセスの背中にまわした。
イシスの変かに勇気出させられる様に、ラムセスはイシスの両膝を割りこみ身体をうずめていった。
「もう、離さない」。
ラムセスの腕に抱かれ胸に顔をうずめるイシスを再度しっかりと抱きよせこの幸福なひと時をかみしめる。
しかし二人の官能的な時間は長く続かなかった。
幾日か過ぎイシスの屋敷を訪れたラムセスを「イシスはいない、」。とイシスの父は言いラムセスの追求を静止する様にイシスのことは忘れるように付け加えた。
ラムセスは自分の持てる最大限の力を駆使し、イシスの行方を探した。
その衝撃の事実を知るのにそう時間はかからなかった。
イシスは現ファラオ・アクエンアテン後宮にいたのだった。
イシスとラムセスを引き裂く策略をめぐらしたのが母の仕業ということも、ラムセスを怒りの感情へとはしらせ。
次の瞬間握り締めた陶器のグラスを壁に投げつけ、母のもとへラムセスを向かわせた
砕け散ったグラスの破片だけが窓の外の月の光を受け怪しく光っていた。



第四章


なぜ気がつかなかったのか。
母が何かやりそうな事ぐらい予測できたはずなのに・・・
後悔の念がラムセスを支配し、この怒りが母に対してのものか自分に対してのものかラムセスは解らなかった。
いや自分の考えの甘さに対しての怒りのほうが強かったかもしれない。
怒りはラムセスを足早に母のもとへ向かわせた。
ラムセスは母の部屋のドアを荒荒しく両手で突き破る様に開けた。
「何をそんなに恐い顔をしているのですか、ハンサムが台無しですよ」
トーヤは平然と言い放ち、怒りで言葉を忘れたラムセスをしり目に言葉を続けた。
「あのイシスとか言う娘、なかなか美しいですね」。
「あなたをたぶらかすだけあってファラオもたいそう気に入っていました」。
「ファラオよりあなたにもよい話があるでしょう」。
トーヤは勝ち誇った表情でラムセスに視線を向けた。
トーヤの言葉はラムセスの怒りをすべて母に向かわせるには十分であった。
「あなたが母親でなければこの世の痛みという痛みをあじあわせることが出来るのに」。
「あなたの思う様にはならないし、させない」。
トーヤの胸倉をつかむと感情をむき出しにラムセスは悲痛の叫びをあげた。
トーヤは戸惑いの表情を見せたがすぐに落ち着きを取り戻し、ラムセスに言い返した。
「あなたに何ができるというのです」。
「今のあなたではファラオに会うどころかイシスに会う事も出来ないでしょう」。
「みんなあなたの将来のためなのです」。
トーヤは知っていたのだラムセスが無謀な息子でない事を、トーヤは過大な評価をラムセスに与えそれでも十分でない事を知っていた。
これもラムセスを愛するゆえの行動である事を母は示したかったのだ。
これであなたの将来は約束されたようなものなのとトーヤはそれで満足だった。
ラムセスの怒りなど取るに足らないものだとトーヤは思っている。

母の言う事は確かであった。
今の自分ではイシスを取り戻すどころか宮廷にもぐりこむ事も無謀であろう。
母の余裕の態度はラムセスに母の存在を否定させ、母の愛情を受け入れる事は出来なかった。
母の胸倉から腕を離すとラムセスはトーヤに背を向け無言でもと来た道を歩みだした。
母の視線の先に敗北を感じながら、イシスのことを思うと胸は張り裂けそうであった。
イシスを忘れ様とラムセスは自分に近づく女性を拒ばなかった。
しかしラムセスは自暴放棄になっている訳ではない。
ラムセスは時期を狙っていたのだ。
自分が力をつけファラオに取って代われる日を。
イシスを再度自分の腕に抱く日を。
それは今のエジプトでは可能な事のである。
ファラオの力は政治の腐敗とともに翳りはじめていた。
そんなラムセスにイシスの死が知らされたのは、イシスが側室に上がって半年をすぎようとしていた時であった。
その死はラムセスに衝撃をあたえたが、悲観にくれるものではなかった。
イシスを取り戻す事は出来なかったが、この出来事がラムセスの野心に火をつけたのは言うまでもない。

最終章


窓の外から柔らかい日の光がさしこみ、ラムセスを目覚めさせた。
なぜイシスの事を思い出したのか、ほろ苦い思いが胸の中を漂わせていた。
ユーリを本当に愛しているのかそれはラムセスにもわからなかった。
ただこれほど興味を引かれたのはイシス以外にはユーリだけかもしれない。
「似ても似つかないのにな」
イシスとユーリ二人を比べると静と動の違いはあるとラムセスは思わず笑った。
自分に安らぎを与えてくれたイシス。
自分と同じものを見つめ進むことができるユーリ。
なぜ、ヒッタイトのカイル皇子より先にユーリを手に入れられなかったのか・・・。

手にいらなければ奪い取ればいい。
それがイシスを失ってからのラムセスの恋の駆け引きでありゲームを楽しむような節がある。
渾身で奪い取りたいと思った女はユーリーだけなのだ。

今度こそは自分の力で手に入れる。
まずはエジプトを手に入れカイルと同等の地位を手に入れる。
その思いがラムセスを新たなる戦いへと向かわせる原動力となるはずである。

ユーリを本当に愛しているのかそれはわからない。
ただファラオとして君臨する自分にユーリは不可欠である。
それも一つの愛の形である事をラムセスはまだ気がついていない。




登場人物の名前にはクリスチャン・ジャック作「太陽の王 ラムセス」から
引用させていただきました