ギュゼルの恋

ギャゼルの悲恋物語

第1章

もうカイル皇子がギャゼルのもとを訪れなくなって、どのくらい一人の夜を過ごしただろう。

噂ではカイル皇子は黒髪の異国の少女を側におき、かたときも放さないと噂に聞く。

その噂を聞いてもギャゼルには不思議と嫉妬という言葉は沸いてこなかった。

ギュゼルは知っていたのだ。

あれほど幾人もの姫を虜にし夢中にさせたカイルを、自分をふくめ、誰一人夢中にさせる事が出来なかった事を・・・。

ギュゼルを抱くカイルは優しく、いざなう様にギュゼルを愛撫し、ひとときの幸福感と官能の世界をギャゼルに与えた。

ギュゼルは知っていたのだ。

その官能的な幸福が自分だけに与えられているものではない事を。


突然泉から現れた少女がカイルを夢中にさせているというが、嫉妬心よりもどのような少女がカイルを虜にしたのかギュゼルは会って見たかった。

そのカイルの心を奪った少女に不思議な興味心がギュゼルに湧き上がっていた。

しかし、それとは別な思いがギュゼルの心を淋しさで支配していた。

ギュゼルは献身的愛でカイルにつくしてきた。
もし皇子の位がなくてもギュゼルはカイルを愛する事が出来たであろう。
カイルはギュゼルの美しさを誉め、いつも甘い言葉をギュゼルに囁いた。
だがけして愛しているとは言わなかった。
ギュゼルにカイルは平等な愛を与えるだけであった。
他の姫に与えるのと変わりなく。
それでもギュゼルは幸せであった。
カイルの胸の中で過ごす一時の為に、ギュゼルは自分の持つすべての時間を捧げた。
カイルがもう一度自分を抱きしめてくれたら・・・。
あの力強い腕に抱かれ甘い言葉を耳元で囁かれ・・・・。
もう一度柔らかな金色の髪に包まれ琥珀色に輝くあの瞳に見つめられたら・・・・。
それだけでギュゼルはすぐに今までの淋しさを埋め尽くす事が出来たであろう。
だがカイルは、二度とギュゼルの前に現れなかった。
他の姫の前にも・・・。
ギュゼルの落ちこみは周りのものにも手にとるように解ったが、その原因がカイルであることをアイギルは知っていた。
だが相手がカイルだけにどうする事も出来ない。
権力があるものが幾人もの妃を持つことは当たり前の時代であるし、アイギルとて例外ではない。
ましてやギュゼルはカイルの妃でもなくただの恋愛相手にしか過ぎないのだ。
「ギュゼルの為に宴でも開こうか」。
「国中の貴族という貴族の若者を集めよう」。
ギュゼルをなぐさめようと、優しくアイギルは我娘に言葉をかけた。
「お父様そんな気にはなれません」。
哀願するようにギャゼルは言葉を続ける。
「お気持ちはうれしいのですが、今は何も考えられないのです」。
ギュゼルは窓辺にたたずみ静かに答えた。
「ギュゼル、お前はこのヒッタイトのバンクス議長の娘だ」。
「どんな姫にだって負けない美しさと誰もがうらやむ地位を持っている」。
「カイル皇子のことは諦められぬか」。
アイギルはギュゼルを慰めようと必死で言葉を捜した。
バンクス議長として恐れられているアイギルもギュゼルの前ではただの父親である。
「お前は美しく着飾りただ出席するだけでいい。
少しは気も晴れるであろう。
たまには父親のわがままも聞いてくれ」
アイギルはそっと娘の額にやさしくキスをするとギュゼルを一人残し、娘の部屋を後にした。
ギュゼルは父の心遣いがうれしかった。
出来るものなら父の言うようにカイルの事を忘れ、新しい恋を見つける事が出来れば
ギュゼルはこの苦しみから抜け出す事が出来るであろう。
カイルを諦める事が出来るのか?
いろいろな思いをギュゼルは格闘させ、宴の日は近づいてきた。

第二章

アイギルの屋敷での宴は華やかに執り行われた。
国中の貴族という貴族が集まったといっても過言ではなかった。
独身貴族のお目当てはもちろんギュゼル姫であったが、宴の主人公であるはずのギュゼルは、言い寄る独身貴族達に静かに微笑むだけで、誰一人としてギュゼルの興味を引くものは現れなかった。
ギュゼルの晴れぬ心とはうらはらに宴は賑やかに進んでいった。
ホールの中央では歌姫の踊りと、楽士の楽器の演奏と伴に静かに染み入るような歌声が響き渡っていた。
「なかなかハンサムな楽士じゃない」
「雰囲気が少しカイル殿下に似ていると思わない」
なにも興味を示さず窓辺に一人静かにたたずみ月明かりに照らされた庭を眺めるだけのギュゼルの耳に、参加者の夫人のなにげない会話がはいってきた。
その瞬間思わずギュゼルはホールの中央に歩み出てその噂の楽士を目で追った。
楽士は金色に光る前髪を時々無造作にかき分けその下に、琥珀色に輝く瞳が映し出された。
その楽士の容姿はギュゼルにカイルを思い出させるに充分のものであった。
それはカイルを忘れる事など出来ない気持ちをギュゼルに思い知らせるには十分であった。
ギュゼルはその場にいたたまれず、思わず庭に飛び出し、人気のない噴水のそばに一人座り込み、こみ上げる涙をふき取る事が出来なかった。
どのくらいたったのだろう後ろに人の気配を感じ、ギュゼルは振りかえった。
「どうかなされましたか」
「急に逃げる様にホールから出て行かれましたので・・・」
ギュセルの目の前に、月明かりに照らされ金色に輝く長身の男の姿が映し出された。
「殿下」
ギュゼルはおもわずその場にいるはずのない人の名を口に出していた。
「姫そろそろ冷えてまいりましたここにいてはお身体に障ります」
そう言うと、男は優しくギュゼルに手をさしのべた。
ギャゼルは戸惑いながらも、男の琥珀色の瞳に似せられるように差しのべられたその手のひらに自分の左手を置いた。
男はギャゼルを立たせるとドレスのすそについた砂をさっと払い、そっと左の手の甲に自然な動作でキスを落とす。
「私は今日の宴の為に呼ばれた楽士のハンスと言います」
「私の歌がお気に召さなかったのでしょうか」
ハンスの容姿と、優しい言葉使いがギュゼルを大胆にさせた。
「しばらくこのままで」ハンスの胸に体を預け身を寄せたギュゼルはそう言うとそっと目を閉じた。
ハンスは思わぬギュゼルの行動に戸惑いを覚えたが、悲しみにうちしがれている姫の思いがハンスの全身に電流のように駆け抜けた。
ハンスはそっと両手をギュゼルの背中に両腕をまわし抱き寄せた。
ギュゼルの涙が、ハンスの胸を濡らし、ハンスはギュゼルの悲しみを一身で受け止めようとした。
それはハンスにとって、かなわぬ恋の始まりであり、ギュゼルにとってはひとときの偽りの恋であった。
ハンスがギュゼル姫の部屋に人目を避け現れるようになり、二人で過ごす時間を持つようになるのにそう時間はかからなかった。
ギュゼルはハンスにカイルの姿を重ね見て、自分の寂しさを生めようとした。
だがそれはひと時の慰めにしかならないことを、自分を偽っているにすぎないことをギュゼルは知っている。
ハンスの優しさを思うたび、ギュゼルの胸はハンスにすまないという思いに痛んだ。
だが、その思いを断ち切るにはカイルの存在がギュゼルにはあまりにも大きかった。
ハンスは自分に出来る精一杯の思いでギュゼルに答えた。
ギュゼルが自分に誰かを重ね合わせ見ていることは、うすうす感じていたが、自分の腕の中で安心した様に眠るギュゼルを見ていると不満はなかった。
ただ切ない思いだけがハンスの心に残るようになっていった 。

第三章

人生とは、なんと痛みを伴うものか。

ハンスはそう思わずに入られなかった。
ギュゼルをこの胸に抱き一番身近にいるはずの自分が、突き放される瞬間があることをハンスは見逃す事が出来なかった。
もしこの恋が公になってしまえば、ハンスは命をも失う事になるかもしれない。
ハンスにとってこの恋は結ばれることのない禁断の恋なのである。
姫にとってこれでいいのだろうか。
自分はただの慰めでしかない。
たとえ姫の思い人になれたとしてもそれはまた新たに姫の悩みとなるだけである。
ハンスは自分の思いでギュゼルを縛ることだけは避けたかった。
「ギュゼル姫、私は心からあなたを愛してます」
いつもの様に暗闇にまぎれギュゼルの部屋にたどり着いたハンスは、ギュゼルの前にひざまずきギュゼルを真剣なまなざしで見上げ、言葉を続けた。
「だが、あなたを思い、あなたの前から立ち去るつもりです」
「突然何をおしゃるのですか」
ギュゼルは思いがけないハンスの言葉に、身体が凍りつくような感覚にとらわれた。
「今の貴方は偽りの恋の中で、自分を偽って生きてるだけです」
「貴方が誰の変わりとして自分を選んだかそれはどうでもいい」
「姫、貴方の本当の笑顔が見たいのです」
「どうか新しいご自分をお探し下さい」
ハンスはギュゼルを抱きしめたい衝動を押さえながら、そう言い終わるとそっと琥珀色の瞳をふせた。
姫が淋しさから逃れるためには自分が姫のそばにいる事が足かせになる。
その思いがハンスをギュゼルの前から立ち去らせる決意をさせたのであった。
「ハンス、あなたまで私の前から去ろうとするのですか」
ギュゼルは崩れそうになる身体を椅子で支える様にしながらハンスに訴えた。
「聡明な貴方なら解ってらしゃるはずです」
「この関係がいつまでも続かない事を、そして貴方が私を愛していない事を」
「ハンス・・・」
ハンスの悲痛な叫びにギュゼルはもう何も言えなかった。
ハンスは立ちあがると二度と振り向くことなく足早にギュゼルの前から去っていった。
ハンスの琥珀色の瞳からはひとすじの涙が頬をつたっていた。
ハンスが去った後ギュゼルは椅子に座り込み、こみ上げる悲しみをふき取る事が出来なかった。
解っていた事である。
ハンスの苦しみも自分の苦しみも。
ただそれを直視できない弱い自分がいたことも。
すべてわかっていた。
だが、それをどうすることも出来なかった自分がギュゼルは悲しかった。
時が解決してくれるだろうか、少なくとも過去から抜け出さなくては。
ハンスの思いに答える義務が自分にはあるはず。
ハンスが必死の思いで後押ししてくれたのだから・・・。
ハンスが去って一月を過ぎようとした頃、ギュゼルは自分の身体の異変に気づいた。
最初に気づいたのは乳母のエバであった。
エバは何もかも承知でハンスとの関係を見逃し、助けてくれた信頼できる召使であっる。
時々気分がすぐれず、ふさぎ込んでいるように見えるギュゼルに、エバは思い当たる事があったのだ。
「姫様月のものが遅れておりますが、もしや御子が出来たのではありませんか」
エバの言葉に戸惑いながらも最近の自分の体の変化には充分思い当たることがあった。
「エバしばらくこの事は誰にも言わないで」
ギュゼルは何かを強く決意した様にエバに哀願した。
「姫様しばらくすれば誰の目にもはっきりしてきます、隠しとうせるものではありません」
エバにはギュゼルが子供を産み、育てるつもりである事を感じ取っていた。
だが、ギュゼルのおなかの子の父親が誰なのかアイゼルが知る事にでもなれば
生まれた子供は闇に葬られる可能性もある。
そのことがエバを不安にさせた。
「その時は私が父を説得します」
ギュゼルはエバの不安も何もかも承知の上で子供を産む決心をしていた。
それがギュゼルに出来るただ一つのハンスへ対する思いの表れだったのかもしれない。
数ヶ月が過ぎギュゼルの妊娠はアイギルの知るところとなった。
アイギルは突然の娘の妊娠に驚き息せき切ってギュゼルの部屋を訪れた。
「ギュゼルどういう事だ、その子の父親は・・・」
「お父様何も言わないで下さい、この子は誰の御子でもありません
私だけの子供です」
「お父様どうぞこのまま生ませてください
ギュゼルは今までにない強い言葉でアイギルに何も言わせなかった。
「殿下の御子か?」
アイギルの思い違いがギュゼルを救った。
父をだましている事に痛みを覚えながらも父の勘違いをそのまま利用していこうとギュゼルは思った。
やがてギュゼルは金色に輝く髪と琥珀色の瞳を持った男の子を産んだ。

第四章

なんと殿下に似ている事か。
孫の顔を見てのアイギルの第一声であった。
「殿下のお名前を頂きカイルとなずけよう」
「ギュゼルお前は何も心配しなくていい、おりをみて殿下にもお伝えしよう」
アイギルは満面の笑みで孫の誕生を喜んだ。
「お父様以前にも申しました、この子は私だけの子です」
「誰にも何も言わないで下さい」
ギュゼルは必死の思いで父に訴えた。
「ギュゼルお前がそう言うなら私は何も言わない」
「ただこれだけは覚えておいておくれ、私はなにがあってもお前達親子を守ってあげよう」
アイギルは一人で現状に立ち向かおうとする我娘が哀れに思えてならなかった。
子供ができたことを殿下に訴えれば、たとえ愛妾がいようと、愛娘から殿下の愛情が無くなったとしても殿下の一人の妃としてのギュゼルの立場を確立することは簡単なことである。
だがそれを娘が望んでないことをアイギルは不思議に感じながらも、時がたてば自分の孫を殿下の御子と伝えることもあるだろうと思いなおした父親としての本心であった。
「お父様」
ギュゼルは父の心遣いがうれしかった
それと伴に父をだまし通すことの難しさも感じていた。
このままではいずれ殿下にご迷惑がかかってしまう。
折をみて本当の事をお父様にお話しなければ・・・。
ギュゼルはそう決心していた。
ギュゼルの思いとはうらはらに、ナキアの陰謀の渦の中に取り込まれていく事なろうとは、この時ギュゼルは思いもよらなかった。
ギュゼルの元へ皇太后よりワインが届けられたのはカイルを産んで一年が過ぎようとしていた時であった。
そのワインを飲んだ瞬間、ギュゼルの心の奥に閉じ込めていたカイル殿下への思いがあふれだし、止める事が出来なかった。
この子の父親は殿下なのだ、もう一度殿下にお会いしたい。
その思いがギュゼルを支配しアイギルを動かす結果となった。
数日後、アイギルは朝早くギュゼルを連れカイルの屋敷を訪れ謁見を求めた。
「皇太子殿下、このような早朝に御邪魔した事をお許し下さい」
「お耳に入れるべきかどうかずいぶん悩みましたが・・・」
「殿下の寵からはなれ久しい娘なればいまさら何をと思いでしょうが、
ギュゼルは一年ほど前男児を出産しました、皇太子殿下貴方の御子でございます」
アイギルはカイル表情をうかがう様に言葉を一つ一つ選び慎重に伝えた。
カイルは一瞬驚いたような表情に変わったがすぐに何か考えこむような態度を示した。
ギュゼルがカイルの第一皇子を産んでいたと言う噂は、すぐに宮廷中に広がっていった。
だが、ギュゼルに対するカイルの態度は特に変化もなくギュゼルに会いに来る事もなかった。
ギュゼルにはなぜ息子に会ってくれないのかカイルの態度が解せなかった。
カイルは知っていたのだギュゼルが産んだ子供が、自分の子供であるはずがない事を。
なぜ、突然ギュゼルがカイルの子供だと言い出したのか。
その意図は何なのか、それだけがカイルの思考を支配している。
カイルにはそれがナキアの陰謀の一つのようにカイルには思えてならなかった。
アルヌワンダ皇帝陛下が暗殺され、その犯人にユーリが疑われたのはそのすぐ後の事であった。
皇帝暗殺の現場にいたのはユーリとジュダ皇子であった。
ジュダ皇子はナキアの黒い水に操られユーリを犯人に仕立て上げる結果となった。
カイルはユーリの無実をどう晴らすか頭を悩ませた。
その時ギュゼルのことが思い浮かんだ。
元老院会議の席でカイルはギュゼルを呼び寄せ、ナキアにジュダもギュゼルも操られてている事を証明したかった。
「カイル殿下お召しとうかがいうれしゅうございます」
ギュゼルは息子カイルを連れカイルの面前にひざまずいた。
こんな形でもカイルに呼ばれた事がギュゼルはうれしかった。
カイルはギュゼルを抱きしめたいといった。
だが、カイルが強くギュゼルを抱きしめた瞬間、ギュゼルは黒い水を吐き出し正気に戻った。

「わたくしはなぜそのような事を、この子が殿下の御子であるはずなどないのに・・・」
「殿下の御子であったらどんなにうれしいかと、ずっと思ってまいりました」
アイギルは、思わぬ展開に怒りが込み上げてくるのを押さえられなかった。
ギュゼルは、すべて本当の事をアイギルに話し許し請う結果となったが、ナキアの陰謀を公にするまでにはいたらなかった。
ギュゼルは、すべての思いを打ち明けた事で、カイルの呪縛から解放されていく思いを感じていた 。

最終章

「殿下御役に立てず申し訳ございませんでした」
「わたくしごときの証言では皇太后様が人を操る事は証明できず・・・」
月を眺め、物思いにふけるカイルをギュゼルは痛々しいと思った。
「ギュゼル姫、謝るのはわたしのほうだ」
「貴方をあのような場所に引き出してしまって申し訳なかった」
カイルは、ギュゼルのほうへ振り向きすまなそうな表情で、ギュゼルを見つめた。
「・・・いいえ、どのような場所でも殿下にまたお目にかかれてうれしゅうございました」
ギュゼルはカイルの心遣いがうれしかった。
「姫、私は貴方に残酷な事をしたな、本当にすまない」
カイルの態度と言葉でギュゼルはすべてを理解する事が出来た。
「殿下は探していた女性を見つけられたのですね」
「以前わたくしやほかの姫達の元にお通いだった頃、殿下は皆を平等にあつかってくださいました」
「でも今は一番大切な方がおできになった、だからほかの者には残酷になってしまうのですわ」
「昔どんなにわたくしたちが競っても殿下は皆同じに大切にしてくださる態度を崩されなかった。
殿下のお心を乱すことは誰もできませんでした」
「ユーリ様が早くお戻りになられることをお祈りいたします」
不思議とギュゼルの心にカイル対する未練はなかった。
自分とカイルの恋はやっと終わったのだとギュゼルは思った。
自分はこれでようやく殿下から解放される。
ギュゼルは深深と会釈をすると、しっかりと前を見つめ二度と振り返ることなく、カイルを残し宮廷を後にした 。