下弦の月が浮かぶ夜17
*「ねぇ、見た?」
「見た」
「やっぱかっこいいわ」
「どっちがいい?」
「どっちも~」
ざわつきは階を昇るごとに大きくなる。
そのざわつきを遮断するように静まり返る最上階。
ドアを開けた先から流れ出る冷ややかな空気。
「何考えてる」
空気も凍りそうな冷やかな声の主はそれ以上に冷たい視線を俺に向ける。
「牧野は悪くないから」
「分かってるよ」
皮肉る様に司の片方の口角がわずかに上へと動く。
「こんなに早く司にばれるとは思ってなかったけどな」
「あいつはあんな奴だからお前の戯言に最後まで付き合いたいみたいだ」
「司は当然反対だよな」
「変なことに巻きこみやがって」
俺の真正面を見据えたまま苦々しそうに表情を歪める。
「あいつはお前の気持ちには気がついちゃいないから気づかせるなよ」
自分が言いたいことだけ言って立ち去る親友の背中を見送った。
俺の気持ちをばらすな。
それが言いたいだけの為に秒刻みのスケジュールの中を抜けてきたのだろうか。
司に俺の気持ちがばれていたのも驚きだけど。
自分の好きな女に向けられる視線には恋愛に奥手のあいつでも敏感になるらしい。
俺の気持ちに気が付いて牧野が悩むのは目に見えている。
微妙に揺らいでる気持ちがあるのは認めるがもともと告白するつもりも初めからない。
それは司も分かってるはずだ。
それなのに・・・。
ここまであいつにさせるって・・・。
やっぱ牧野のためだからなのだろう。
「殴られると思ったんだけどな」
ため息みたいに漏れる声。
以前なら絶対俺に殴りかってきたであろう司。
感情だけで行動するやつがその感情を押しとどめて俺に会いに来た。
ただ忠告するだけの為に。
全身のオーラーは完全に俺に殴りかかっていたけれどな。
普通のやつならあれだけでビビる。
「かなわないよな」
敗北感でも諦めでもない想い。
感動すら覚えてる。
司にここまでさせる女はきっと牧野以外にはあり得ないだろうから。
緊張から抜け出す様に革張りの椅子に腰を下ろす。
忙しいのはあいつだけではないのだからと気を取り直す様にデスクの上の書類を手に取った。
「トントン」
規則的に響くノックの音。
葵の訪問を告げられる。
今回に関しちゃ俺からは呼び付けてない。
ただ葵が来たら許可なしでも部屋に通していいと言ってはある。
昨日突然抱きしめたこと文句でも言いに来たのだろうか。
抱きしめただけで気絶されたの初めてだったけど。
あのまんまベットに寝かせて朝まで全然起きなかった。
俺がベットに女性を運んで寝かせただけなんて双子の妹達だけだぞ。
心で呟きながら部屋のドアを閉めた夜。
迎えた朝に突如、けたたましく響く声。
「遅刻する~」
叫びながら葵は俺の前を素通りして飛び出だして行ってしまった。
まだ一言も口をきいてないんだよな、抱きしめた後から。
キョロキョロと誰もいないことを葵が確かめて俺の前に進み出る。
「何か用ですか?東條葵さん」
わざと作る他人行儀な態度。
「え・・・」
「あの・・・」
「今日、自分の家に荷物を取りに行きたいんだけど・・・」
「それなら業者の手配したから、今頃は終わってると思うぞ」
「あっ・・・そう・・・」
逃げ場をなくして困った様にしかめる眉間。
一緒のマンションに帰りたくないって態度がミエミエだ。
自分の気持ちのそのまんま表情にでるタイプらしい。
分かりやすい奴だ。
「一緒に住みたくないのか?」
笑いをかみ殺すために片手で口元を隠して視線を外した。
「今日大変だったんだから」
急に威勢が良くなる声。
「なにが?」
「昨日と一緒の服着てたから皆にいろいろ勘ぐられて」
「社長と一緒のとこ見られたらどうなるかわかんないでしょう」
「別に俺は困んないけど」
「私が困るの」
「ばれなきゃいいだろう」
「ばれなきゃって・・・」
そのまま言葉が続かず葵は黙り込む。
きっと頭の中で他の言い訳を探しているのだろう。
「気を付けてやるよ」
「いつまで続けるの?」
「爺さんが飽きるまで」
「ほらやるよ」
机の引きだしから取り出したマンションのマスターキーは小さく弧を描いて葵の手のひらの中に吸い込まれる。
「俺、今日は帰れないから安心しろ」
「えっ・・・そう」
ホッとしたように胸元が大きく動く。
目の前で正直に安堵の表情を見せるって遠慮なさすぎだ。
「淋しかったら帰ってやるけど」
「必要ありません!」
見上げた顔はキッと俺を睨みつける。
ツンと顔を横にそむけて鍵を握りしめて葵は出て行った。
やっぱおもしれぇ。
今度は遠慮せずに笑い声を上げた。